大学生フィールドワーカーのブログ

散歩を通して、新しい発見をする。

土地の「境界」に潜む謎

みなさん、こんにちは!

フィールドワークのツールに「境界」がダウンロードされた山口です。

 

緊急事態宣言が徐々に解除され、日常が戻りつつある今日。

まだまだ油断は禁物ですね、ステイホームで乗り切りましょう。

 

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さて今回は「境界」にスポットライトを当ててブログを書いていきます。

みなさんは「境界」と聞いて、なにが思い浮かぶでしょうか?

 

辞書にはこんな風に書かれています。

 

・土地のさかい目。

・物事のさかい目。

 (引用:大辞林 第三版)

 

また最近では「都道府県をまたぐ不要不急の移動の自粛」が促されています。

これもある意味言い換えると「都道府県の境界を越えないで」ということになります。

 

つまり「境界」とは、土地や物事同士のさかい目を示すものと言えます。 

 

みなさんは土地の「境界」に注目したことはありますでしょうか?

「ここから〇〇市」という看板があるだけで、特になにも感じない方が大半でしょう。

私も最近まで、都道府県境を越えるときに少々の興奮を覚えるくらいでした。

 

しかし私はある日、「境界」のおもしろさに気がついてしまったのです。

それは境界協会の小林政能さんとの出会いでした。

小林さんとフィールドワークをさせていただき、「境界」思考を注入されました。

 

その詳しい成り行きは置いておいて、

今回はみなさまに土地の「境界」のおもしろさをお伝えしようと思います。

 

「境界」は本当におもしろいです。

お時間があれば、最後まで読んでいただけるとうれしいです。

 

 

両国はかつての国境!?

「両国」と聞いて、みなさんは何が思い浮かぶでしょうか?

 やはり思い浮かぶのは東京都墨田区の「両国」ではないでしょうか。

両国国技館、相撲、江戸東京博物館など東京の「両国」には、日本を代表とする施設があったり、日本の下町情緒も感じることができたりするスポットがたくさんあります。

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両国(引用:地理院地図)

 

そんな「両国」なのですが、その地名の由来を考えたことはありますか?

 

「両国」という地名にはその字面だけではわからない、おもしろさを秘めているのです。

そしてそこには「境界」との大きな関係があるのです。

 

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「両国」の地名の由来を探るため、まずは墨田区西岸を流れる隅田川に向かいます。

 

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隅田川(引用:東京都建設局)

隅田川は、東京都北区にある岩渕水門を起点に、東京の東部低地帯の沿川7区(北区・足立区・荒川区墨田区台東区中央区江東区)を南北に流れ、東京湾に注ぐ荒川水系一級河川で、都が管理しています。

江戸時代の隅田川秩父から切り出した材木の運搬に使われるなど、江戸城下の建設を支える水運の要として重要な役割を担っていた。また両国橋界隈や浅草など活気が溢れる場もあり、江戸の名所として大変な賑わいを見せていた。

(一部引用:隅田川基本情報|隅田川ルネサンス 東京都建設局)

 

JR総武線両国駅を出て、西に向かうと隅田川が見えてきます。

ちなみに隅田川は「境界」を意識すると、中央区墨田区の区界になっています。

「境界」は河川や山の頂にありがちなので、隅田川が境界になっているというのは妥当です。

 

「墨」田区を流れる「隅」田川、なぜ同音異義語になっているのでしょう。

このお話しはまた今度取り上げて書きますね。

 

ではその隅田川沿いを南下していきましょう。

すると見えてきたのは「両国橋」です。

 

墨田区両国に通じる橋だから「両国橋」ということで、分かりやすい命名法ですね。

地域の名前が橋の名前になること、逆に橋の名前が地域の名前になることはありがちで、東京駅付近の京橋や鍛冶橋という地名も、もともとはそれらの橋が存在していたことにちなんだ地名であることが分かっています。橋があるということは河川も付き物なのですが、関東大震災後や戦後のガレキを河川に捨て、いつの間にか埋め立てられてしまったという経緯を持っています。

 

隅田川は現在も健在なので、「両国橋」ももちろん活躍中です。

実は、この「両国橋」こそが「両国」という地名の由来を明らかにする重要なキーなのです。 

 

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両国橋

 

両国橋は中央区日本橋墨田区両国を結ぶ、隅田川で2番目に架けられた橋です。

両国橋の歴史を探していくと、こんなことが分かりました。

 

明暦3(1657)年の明暦の大火をきっかけに、万治2(1659)年に架橋。位置は現在よりも少し下流であった。当初、大橋と呼んだが、隅田川武蔵国下総国の境であったため、二州橋とも言われた。のちに武蔵、下総両国に架かることから、両国橋と正式に改められた。橋の両側に火除地として広小路が設けられ、江戸随一の盛り場として賑わった。両国の川開きは5月28日に行われ、8月28日までの納涼期間中は花火が打ち上げられ、江戸庶民を魅了した。

(一部引用:両国橋|錦絵でたのしむ江戸の名所 - 国立国会図書館

 

隅田川はもともと武蔵国*1下総国*2の境界線であったことが分かる。

またその両国に架かっている橋だから「両国橋」と名付けられたのである。

「大橋」→「二州橋」→「両国橋」と橋名が変化していったことも分かる。

 

また地図ラーの会の森田さんによると、

江戸随一の盛り場は日本橋両国の広小路だったとのこと。

実際に地理院地図で両国橋の中央区側を見てみました。

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両国郵便局(東京都中央区)(引用:地理院地図)

すると驚くことに両国橋の中央区側に「両国郵便局」があったのです。

つまり、もともとは両国橋の両岸の地域を「両国」と呼んでいたと考えられます。

 

JR総武線「両国」駅の歴史を辿ってみるとこんなことが分かりました。

両国駅は1904(明治37)年に開業。

当初の駅名は「両国橋」でしたが、1931(昭和6)年に現在の駅名になった。

(一部引用:JR両国駅「幻のホーム」はなぜ生まれた?|草町義和)

 

また江戸時代、現在の「両国」は向両国(むこうりょうごく)とも呼ばれていた。

ということはもともとは日本橋の「両国」が本家かもしれない。

 

しかしながら、中央区側の現在の両国郵便局のあたりの住所は「東日本橋」となっており、

墨田区側の「両国」という地名が残ったということだろう。

 

 

つまり武蔵国下総国(両国)の「境界」付近の地域であることから、

「両国」と名付けられ、その地名が墨田区ではいまでなお使われているということである。

 

 

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武蔵国下総国(引用:地理院地図)

 

現在の隅田川は東京都中央区墨田区の「境界」になっていますが、

かつて武蔵国下総国の「境界」だったということはあまり知られていません。

 

このように土地の「境界」に注目すると、その地域の地名や歴史を深掘りできるのです。

少しだけでもいいのでおもしろいと思っていただけたでしょうか?

 

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橋だけじゃない!境界にはこんなものもある!

前述でご紹介した「両国橋」では隅田川がかつての国境であったことから、

「両国」という地名の由来や歴史まで掘り下げることができました。

 

そんな「境界」なのですがおもしろいものを発見できるスポットでもあります。

ここからは私が発見した「おもしろ境界」の中から3箇所をご紹介します!

 

 

群馬県桐生市の桐生川

群馬県桐生市を流れる桐生川はもともと上野国下野国の境界になっていたのです。

河川が境界になっていることはなんら珍しいことではないのですが、

おもしろいのは桐生川にも両国橋があるということです。

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桐生川(引用:地理院地図)

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両国橋(群馬県桐生川)

 

東京から遠く離れた群馬(別名:グンマー)にも「両国橋」があるのは意外でした。

両国橋のお写真は、両毛スリバチ学会トチギ分団長の深澤謙吾さんの撮影です。

ご提供ありがとうございます。

 

 〈 両毛スリバチ学会のFacebookページはこちら 〉

https://www.facebook.com/ryoumousuribachi/

 

ちなみに「両国橋」という名前の橋は全国各地に存在しています。

意外と身近なところに架かっているかもしれないので、

さまざまな地図を使って探してみるのもいいかもしれませんね。

 

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 大分県大分市臼杵市の境界

さてここでは関東地方から大きく飛んで、大分県のお話しに移ります。

大分県の県庁所在地である大分市

国宝・臼杵石仏がある臼杵市の境界には何があるのでしょうか。

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大分市臼杵市の市境

 

写真の中の白色の点線は両市の境界を示しています。

この写真からなにか読み取れませんか?

 

奥側の大分市には歩道があるのに対して、手前側の臼杵市には歩道がありません。

このように行政の違いから、舗装の違いも生まれるのですね。

普段は気が付かないものを見つめると、意外とおもしろいものが落ちているのです。

 

大分県にお住いの方は、ぜひご覧になって見てみてください!

 

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大分市別府市の境界

温泉で有名な別府市大分市との境界にはなにがあるのでしょうか?

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両郡橋(大分市別府市の市境)

 

あまり知られていないのですが、大分市別府市の境界には歩道橋があるのです。

その名も「両郡橋」、

前述した東京都両国の「両国橋」とどこか似たような橋名ですね。

(この歩道橋は国道10号線(別大街道)に架かっています。)

 

実はこの「両郡橋」は「両国橋」の成り立ち方と同じなのです。

かつて大分市大分郡に、別府市速見郡に含まれていたことから、

両郡にまたがる橋だから「両郡橋」になったのです。

 

この歩道橋自体は最近完成したものであるが、この付近には河川が流れており、

その河川に以前架かっていた橋の名前が「両郡橋」であったから、

その橋名を継承したと考えられる。

 

このように「両国橋」に限らず、「両郡橋」や他にも「両村橋」など

似たような名前の橋が全国各地で見られます。

こちらも身近な場所にあるかもしれませんね。

 

大分県にお住みの方は別大街道をお通りになる際に意識してみるのもいいかもしれません。

 

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お散歩に出かけましょう

「おうち時間」には慣れてきたでしょうか?

フィールドワークも自粛気味で、いまは県外移動したくてたまりません!

緊急事態宣言も解除が徐々に進み、もう大丈夫かな?と思ってしまいますが、

油断は禁物ですね。

 

最後になりますが、

地図ラーの会のみなさまには先日の地図ちず超会議にて大変お世話になりました。

本当にありがとうございました。

 

〈 地図ラーの会Facebookページはこちら 〉

www.facebook.com

 

また書きますね。

 

大学生フィールドワーカー / 大学生巡検人 山口泰

 

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*1:武蔵国(むさしのくに)→ 現在の東京都や埼玉県、神奈川県川崎市横浜市の一部

*2:下総国(しもうさのくに)→ 現在の千葉県北部と茨城県の一部

【東京をお散歩】大学生が大塚駅をぶらり旅[街並み散策編]

みなさん、こんにちは!

東京の地形、街並み、雰囲気が大好きな九州在住の山口です。

 

「おうち時間」有効活用できていますでしょうか?

私は本を読んだり、地図を見たりとなかなか充実した生活をしています。

こんなときだからこそ、ポジティブにいきましょう!

 

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さて今回は、

東京都豊島区の大塚駅付近をぶらりしてきました。

(※2020年3月中旬に行きました。)

 

1903(明治36)年に開業した大塚駅は117年間の歴史を持っており、

駅周辺の街並みも現代と昭和を混ぜ合わせたような雰囲気を感じさせてくれます。

 

比較的落ち着いた街のようですが、以前は池袋付近よりも賑わっていたんだとか。

それに比べると廃れていると思われがちですが、商店街を中心に庶民的な生活感や路地を進むと感じるあのワクワク感を感じさせてくれて、個人的に大好きな街のひとつです。

そんな大塚は地形の起伏に富んでいたり、おもしろい住所があったりと、地図好きにはたまらないスポットもたくさんあります。

 

そんな魅力いっぱいの大塚駅周辺についてお伝えできたらいいと思います。

お時間があれば、最後まで読んでいただけると嬉しいです!

よろしくお願いいたします。

 

 

東京で唯一の路面電車が走る街

東京駅からJR山手線内回りの電車に乗り、約20分ほどすると大塚駅に到着。

改札を出て、南口を出ると信じられない光景が飛び込んできた。

 

日本の首都東京に、最高速度40キロの路面電車が走っているのだ。

レトロな車輪の音とその光景に没頭していた私の肩にハトがフンを落としていった。

だがそれにも気付かず、帰宅後アウターが汚れていて気が付いた。

 

路面電車というと広島や長崎の印象が強い私にとって、その光景は異様だったのです。

 

その正体は三ノ輪橋〜早稲田間を走る都電荒川線だったのだ。

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都電荒川線大塚駅

私が驚くのも当然、都電荒川線は東京で唯一の路面電車だというのです。

 

東京で路面電車が走っているのはとうの昔のコトだと思っていました。

 

田舎出身の私にとっては、親近感を持てる場所であることもこの街が好きな理由のひとつかもしれません。この路面電車も地域の方々に長年愛されて、現在でも活躍しているのですね。

 

次に路線図を見てみましょう。

一目見ると、意外と長い区間を走っていると感じます。

主要な駅である王子駅早稲田駅にも停車場が設置されています。

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都電荒川線路線図(東京都交通局HPより引用)

都電荒川線は別名東京さくらトラムとも呼ばれています。

路線図を見てみると、沿線上にサクラやバラの見どころスポットが示されています。

春から初夏にかけては路面電車だけでなく、車窓からの景色も楽しめそうですね。

 

東京唯一の路面電車都電荒川線に乗ってみませんか?

(私はまだ乗ったことがありません。泣)

www.kotsu.metro.tokyo.jp

 

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大塚駅前の象徴、サンモール商店街に行こう!

大塚駅に着き、南口から正面を見ると象徴的な鳥居のような門が見える。

都電荒川線の踏切を渡り、その鳥居をくぐると、全く別の世界に入ったように感じる。

そこは「サンモール大塚商店街」である。

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サンモール大塚商店街

平成生まれの私にとって、これが昭和の街並みなのかな?と思いながら散策しました。

どちらかというと薄汚れた感じで、家が密集しており少し怖かったのです。

商店街のなかには鮮魚店や八百屋など、昔ながらの個人店がひしめいています。 

 

商店街好きな方、路地好きの方、いらっしゃるんじゃないでしょうか?

 

ぜひ昭和の情緒溢れる、

サンモール大塚商店街にも行ってみてください!

 

では商店街の入り口に立つ白い鳥居のようなものはどこに続いているのか?

探しにいってみましょう!

 

 

白い鳥居はどこにつながる?

サンモール大塚商店街の入り口に門として立っている白い鳥居(写真左)。

さてこの鳥居の先には本来あるべき神社はあるのか。

 

商店街を進んでいくと、やはりある神社が見えてきました。

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天祖神社

白い鳥居はこの天祖神社に続いていたのですね。

 

天祖神社は、昔の巣鴨村(今の巣鴨・西巣鴨・北大塚・南大塚・東池袋2〜5丁目・上池袋1丁目)の鎮守さまで、鎌倉時代末の元亨年間に、領主の豊島氏が伊勢の皇大神宮の神さまをお迎えしてお祭りをしたのが最初だと言われております。(天祖神社HP 由緒より引用)

 

この由緒を見ると、この大塚駅周辺や隣町の巣鴨や池袋までの広い地域の鎮守さまが、その中心地である大塚に建立していることがわかる。また豊島区の名前の由来となっている豊島氏の名前も見られる。

 

商店街の入り口が神社の鳥居でもある、なんとも面白いですね。

 

境内は非常に落ち着いた雰囲気を放っており、都会のオアシスのようでした。

 

また境内には大塚エリアの変遷を読み取れる古地図が展示されています。

古地図を片手に大塚を街歩きするのも楽しそうですね。

その古地図の一部を公開しておきます。

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大正10年と昭和16年の古地図(大塚界隈)

 

商店街のついでに天祖神社にも立ち寄ってみましょう!

 

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繁栄の名残を訪ねる「大塚三業通り

前述した通り、以前大塚駅周辺は池袋駅よりも賑わっていたのです。

天祖神社の歴史の長さからも大塚界隈が古くから発展したことを物語っています。

 

そんな大塚にはその繁栄の名残を現代に残している地区があります。

それは大塚三業通りです。

 

「三業」とはどのような意味なのでしょうか?辞書にはこう書かれています。

 

料理屋・待合茶屋・芸者屋の三業種。

大辞泉から引用)

 

待合茶屋とは待ち合わせや会合のために席を貸すことを業とした茶屋のこと。

 

つまりここ大塚は酒場や芸者が舞う花街だったのです。

いまの姿からでは想像がつかないほど賑わっていたのでしょう。

 

その名残があるということで「大塚三業通り」に行ってみました。

 

大塚駅南口を出て、左に曲がり踏切を越え、JRの線路に沿ってそのまま進む。

正面の「大塚バッティングセンター」という大きな看板を目印にさらに進む。

すると大塚三業通りという看板も見えてくる。

 

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大塚バッティングセンターと大塚三業通り

 

では通りを遡って、大塚の繁栄の名残を探しに行きましょう!

 

まず見えてきたのは「千草」という小料理店のような雰囲気のお店。

ピークを過ぎて、いい感じの雰囲気になっているところ、好きな人がいそう。

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料亭「千草」

 

この他にも花街あるあるのホテルや病院も見ることができました。

 

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渡辺医院

 

またこの「大塚三業通り」には谷端川の暗渠が通っているのです!

暗渠ファンは多いと思いように感じます。

ぜひ大塚にも素晴らしい暗渠があるので、昼は暗渠巡りをして夜は一杯どうですか?

 

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大塚三業通りと谷端川暗渠

 

大塚三業通り」に繁栄の名残を見つけに行きましょう!

 

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お散歩に出かけましょう

今回は【東京をお散歩】大塚駅をぶらり旅[街並み散策編]ということで、大塚駅周辺を街歩きしていきました。前述の通り、大塚周辺は私にとって好きな街のなかのひとつでもあります。なぜ好きになったのかはよくわかりませんが、田舎育ちの私にはちょうどいいくらいの都会度だったからなのかもしれません。モータリゼーションが進み、商店街や路面電車などが街から衰退してしまうという事態が全国各地で起こっていますが、大塚はどうでしょうか。私からしてみれば、大塚の方々は和気あいあいと活気があって、まだまだ成長できる街だと思います。その根拠として、今回取り上げた魅力が挙げられますが、この他にもまだまだ、魅力がたっぷりです。大塚に行ったことがないという方がいれば、ぜひオススメします。

 

次回は大塚のグルメと穴場スポットをご紹介します!

 

みなさん、コロナ自粛はうまくいっていますでしょうか?

私はGW明けからオンラインで大学の講義が開始されました。

試行錯誤しながら学びをできるだけ深められるように努力はしているつもりです。

 

このブログを読んでくださった方、ありがとうございました。

これからも健康第一で、お互いがんばっていきましょう!

 

また書きますね。

 

大学生フィールドワーカー / 大学生巡検人 山口泰

 

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【大分・別府】温泉地に現れた謎の道路模様

みなさん、こんにちは!

県をまたぐ移動が自粛され、最近は自宅近辺でフィールドワークをしている山口です。

 

緊急事態宣言が解除され、日常が戻りつつありますが油断は禁物です。

今だからできること、「おうち時間」を有効活用しましょう。

 

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さて今回は【大分・別府】温泉地に現れた謎の道路模様ということで、

普段はあまり意識しない道路模様について書いていこうと思います。

 

そして今回の舞台は大分県別府市

大分県別府市」と聞くと、まず何が思い浮かびますか?

おそらく大半の方は温泉と答えるでしょう。

 

逆にいうと大分って温泉のイメージしかないという方も多いと思います。

 

実際、「大分県」とネットで検索すると、日本一の「おんせん県」という観光情報公式サイトが出てきます。自ら「おんせん県」と名乗るくらいですから、大分県にとっては温泉という存在をとても重要な観光資源として捉えていることが分かります。

 

全国的には「別府温泉」という名称で覚えられがちですが、別府市内には大きく9種類の温泉があります。それぞれに名称が付けられており、その中でも「鉄輪温泉(かんなわおんせん)」は代表格とも言われています。

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鉄輪温泉界隈と湯けむり

今回は謎の道路模様についてお伝えしていくのですが、

その成り立ちには別府温泉とそこに住む人々との切っても切れない関係があったのです。

 

ここからは本題に入っていきましょう。

 

 

温泉地に現れた謎の道路模様

あの高級住宅地に似た道路模様

まずはこの地図をご覧ください。 

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大分県別府市南荘園町付近(Google Mapを使用)

 

これは大分県別府市南荘園町付近の地図です。

ここは別府駅から北西に2.3kmほど離れたところです。

 

境川の下、地図の中央部にご注目ください。

なにやら興味深い道路模様が見えますね。

 

この地図を見る限り、円もしくは六角形を中心にして同心円状に6方向に向けて直線の道路が通っていることが分かります。

 

この地図をズームしていくと、ここは住宅地であることも分かりました。

 

この道路模様を見て、何か思い浮かびませんか?

どこかで見たような道路模様だなと私は思い、自分の記憶を辿りました。

 

 

「そうだ、田園調布だ。」

 

 

私は以前フィールドワークしたことがあった田園調布を思い出しました。

田園調布は東京都大田区に位置しており、あの渋沢栄一らが設立した田園都市株式会社

による開発によって完成した高級住宅街です。

みなさんも一度は聞いたことがある地名ではないでしょうか?

 

その田園調布の道路模様は実にユニークで、美しい。

東京都の渋谷駅と神奈川県横浜市横浜駅を結ぶ東急東横線田園調布駅を中心に広がる

放射状の街路パタンは田園調布のトレードマークになっています。

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田園調布(Google Mapを使用)

別府と田園調布の道路模様、

なんとなく似ているなと感じませんか? 

 

私はそう感じたので、さっそく現地でフィールドワークしてきました。

 

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道路模様の成り立ち

私はこの道路模様を発見した翌日、居ても立っていられず別府に向かいました。

実際にこの場所にたどり着くと私の予想に反した建物が立っていました。

そのことはのちのち書くことします。

 

ここの頁ではこの道路模様がなぜ完成されたかと解説していきます。

まずはみなさん予想してみましょう。

 

私の予想をご紹介します。

 

大分県別府市南荘園町付近の地図上部を見ると「荘園通り」が通っていることが分かります。さらにその通りの上に薄いピンク色をした敷地が確認できます。その敷地には「九州大学病院別府病院」が建っています。そこでピンときました。東京都の田園調布が高級住宅地であることを鑑みて、この同心円状の住宅地には病院で働く医療従事者の方々が住んでいると予想しました。

 

分からないことを探求するとき、まず予想をすることはとても大切です。

読者のみなさんもぜひ予想をしてみてください。

 

中心にある敷地にたどり着くとこんな案内板がありました。 

 

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緑ヶ丘中央温泉(六角温泉)について

 ここにはこんなことが書かれていました。

 

緑ヶ丘中央温泉(六角温泉)について

昭和8年、泉部土地建物の全身の会社である、国武合名会社は観海寺・荘園一帯を郊外型高級別荘地として開発を計画し、荘園は「緑ヶ丘(みどりがおか)」「雲雀丘(ひばりがおか)」「百花村(ひゃっかそん)」「鶯谷(うぐいすだに)」と4つのエリアに分け、それぞれの中心付近に共同温泉を建設した。

「緑ヶ丘」(現南荘園町)は、同心六角形の放射状街路で構成され、その中央には街のシンボル的な存在の六角形の外観を持つ緑ヶ丘中央温泉(通称六角温泉)が建設された。この共同温泉は地域の社交の場、娯楽の場である。放射状の街づくりの原型として考えられたのが「東京・田園調布」「パリ・シャルルトゴール広場」であった。

六角温泉は昭和8年浜脇の大工・田仲亀鶴によって建築された。

平成16年9月、六角温泉は大型台風の罹災に遭い大破。

平成17年1月より「新六角温泉」の建設が始まり、同年5月完成する。

(一部省略)

 

興味深い「六角温泉」というワードが見られますが、、、少し置いておきましょう。

 

ここで注目して欲しいのは以下の3点です。

  • 昭和8年土地開発が始められたこと
  • この地域は郊外型高級別荘地として開発されたということ
  • 田園調布とシャルルトゴール広場を原型として開発されたこと

 

まずこの南荘園町(旧緑ヶ丘)の道路模様は東京都の田園調布とパリのシャルルトゴール広場を原型にして開発されたこと、この事実になぜか感動を覚えます。それは似ているなと考えていた場所が実際のところ、原型として扱われていたことに気づけたからだと思います。

 

パリのシャルルトゴール広場は、有名な「エトワール凱旋門」があるところです。

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シャルルトゴール広場(Google Mapを使用)

 

また南荘園町(旧緑ヶ丘)の開発が昭和8年から始められたという点、

私の予想が当たっているのであるならば、九州大学病院別府病院は昭和8年前後に設立されていることになる。

それを確かめるため、病院の公式サイトに飛んだ。

 

するとそこにはこんなことが書かれていました。

 

当院は、昭和6年九州大学温泉治療学研究所の診療科としてここ別府の地に発足し、開設以来80年以上の歴史を持ちます。

沿革 | 病院紹介 | 九州大学病院 別府病院|大分県別府市 

 

これを見て、ビビッとしました。 

私の予想が当たった、とまでは言い切れませんがもしかするともしかもしれません。

 

 

結論として、

南荘園町(旧緑ヶ丘)がこのような同心六角形の放射状街路になったのは、

田園調布やシャルルトゴール広場を原型に、

高級住宅地として開発されたからということがわかった。

そしてそこに住んでいたのは裕福な九州大学病院別府病院の医療従事者たち?という

半分予想で半分確信の説も考えられる。

 

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南荘園町と緑ヶ丘

ちなみに「緑ヶ丘」という地名も電柱に残っていた。 

 

では次は、先ほど出てきた六角温泉について解説していく。

 

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円の中心部には別府ならではの◯◯が!?

先ほど出てきた案内板の内容をここにも載せておきます。

 

緑ヶ丘中央温泉(六角温泉)について

昭和8年、泉部土地建物の全身の会社である、国武合名会社は観海寺・荘園一帯を郊外型高級別荘地として開発を計画し、荘園は「緑ヶ丘(みどりがおか)」「雲雀丘(ひばりがおか)」「百花村(ひゃっかそん)」「鶯谷(うぐいすだに)」と4つのエリアに分け、それぞれの中心付近に共同温泉を建設した。

「緑ヶ丘」(現南荘園町)は、同心六角形の放射状街路で構成され、その中央には街のシンボル的な存在の六角形の外観を持つ緑ヶ丘中央温泉(通称六角温泉)が建設された。この共同温泉は地域の社交の場、娯楽の場である。放射状の街づくりの原型として考えられたのが「東京・田園調布」「パリ・シャルルトゴール広場」であった。

六角温泉は昭和8年浜脇の大工・田仲亀鶴によって建築された。

平成16年9月、六角温泉は大型台風の罹災に遭い大破。

平成17年1月より「新六角温泉」の建設が始まり、同年5月完成する。

(一部省略)

 

地域の社交の場・娯楽の場として、同心六角形の中心に共同温泉を建設するとは、

なんとも温泉地・別府ならではと感じさせてくれる。

 

田園調布の場合は東急東横線田園調布駅が建設されていますね。

私だったら公園や公民館を作りたいと思います。

これって田舎者の考え方ですよね。笑

 

もともとあった六角温泉は近年の大型台風によって大破。

その後再建され、現在では新六角温泉として活躍しています。

同心六角形の中心だから「六角」温泉になったというところも面白い。

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新六角温泉

この写真は新六角温泉を正面入り口を写したものです。

 

注意書きのところには、こう書かれている。

 

組合員以外の方は入浴できません。

 

つまりあくまでもこの地域の憩いの場としての共同温泉だから、部外者は入浴できない。

代々、守り続けてきたポリシーみたいなものがあるのだろう。

 

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現在の姿

先ほどの案内板には昭和8年にこの地域は開発されたとあった。

では現在はどんな様子なのか、写真を見ながら解説していく。 

次の写真はそれぞれの番号がそれぞれの方面を撮影したものである。

 

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新六角温泉とその周辺住宅

 

①の写真は西方面を写したものです。中央左の黄色の建物が「新六角温泉」です。

わかりにくいですが微妙な傾斜のある上り坂になっています。

その背後には大きく連なる山々が見えます。

別府市扇状地が市街地化した地域なので、市内全域に坂道が多いのが特徴です。

住宅地に目を向けてみると、写真の中央右に新旧がはっきりとした2棟の住宅が見えます。

これは再開発が進められていることを知らせてくれます。

 

②の写真は①の逆方向、東方面を写したものです。中央右の建物が「新六角温泉」です。

こちらは下り坂になっていることを確認できるだろうか。

わかりにくいですが、その先には別府湾が広がっています。

住宅地に目を向けてみると、写真の中央左に年季の入った住宅が見える。

 

 

南荘園町をフィールドワークしてみてわかったのは、

田園調布のような人が寄り付き難いような高級住宅地ではないということ。かつて、どうだったかはわからないが、今ではごく庶民的な生活が営まれているようだった。

※これはあくまでいい意味で言っているのです。

 

 

新六角温泉

住所 大分県別府市南荘園町2169-67

www.coara.or.jp

 

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お散歩に出かけましょう

今回は【大分・別府】温泉地に現れた謎の道路模様ということで、

大分県別府市南荘園町をフィールドワークしました。

 

今回のブログの結論としては、

  • 謎の道路模様は高級住宅地開発の名残りであること
  • その中心には憩いの場として共用温泉があること
  • 現在は庶民的な生活が営まれていること 

 の3点にまとめることができる。

 

大分県にお越しの際は、機会があれば訪れてみてもいいかもしれません!

 

 

現在は緊急事態宣言が全国に発令されており、なかなか外出する気分にもならないかと思います。私がこのブログを書いているのは、そういう状況の方に少しでも外出した気分を味わっていただくため、読者そして私自身の「おうち時間」の消費のためであります。

 

時間があるいま、できることを全力でやりぬき、その成果をコロナ収束後に発揮できるようにお互いがんばっていきましょう。そして乗り越えましょう!!

 

また書きますね。

 

大学生フィールドワーカー  / 大学生巡検人 山口泰

 

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【東京をお散歩】坂道めぐりをしてみよう[ユニークな坂名編]

みなさん、こんにちは!

最近、坂の名前に注目して坂道めぐりをしている山口です。

 

突然ですが、東京都内には数多くの坂道があることを知っていますか?

 

実は23区内には少なくとも3000以上の坂道があるとされています。

同じく23区内の郵便局の数はおよそ1500ということで、

坂道が意外と身近なものであることを数字が教えてくれています。

 

そこでいつからか私は坂道をすべて登ろうと坂道めぐりを進めています。

これまでおよそ150の坂道の登ってきました。

まだ全体の1/20の坂道しか登っていないと考えると数の多さを実感します。

 

今回は【東京をお散歩】坂道めぐりをしてみよう[ユニークな坂名編]ということで

これまで私が登ってきた坂道の中で坂名がユニークだと感じた坂道を紹介します。

 

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都電荒川線

 

 

森鴎外命名!?文京区根津の「S坂」

東京には数多くの坂道がありますがアルファベットが坂名になっている坂道はなかなかありません。もしかしたらここだけかもしれません。

 

そんな坂道の名前は「S坂」

別名では「権現坂」とも「新坂」とも呼ばれているようです。

 

ではなぜこのようなユニークな名前が坂道についたのか、考えてみましょう。

 

 

「S坂」の由来

S坂の坂下にこのような案内板が掲げられています。

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S坂下の案内板

 

この案内板から読み取れることとして、以下の3点が挙げられる。

  • 本郷通りから根津谷へ下る新しい坂道だから「新坂」と呼ばれること
  • 根津神社の表門に下る坂道だから「権現坂」と呼ばれること
  • 森鴎外の小説『青年』のなかで「此坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲してついている。」とあることから、この小説を読んだ学生が「S坂」と呼ぶようになったこと

 

つまり「S坂」という坂名は森鴎外命名したと考えられる。

森鴎外は明治・大正時代の小説家である。

代表作として高瀬舟舞姫などがあり、現代でも親しまれている。

 

では森鴎外が「S坂」と名付けた根拠を探しにいこう。

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S坂下から

 

この写真を見て欲しい。

これは坂下から「S坂」を撮影したものです。

 

大きく曲線を描いている坂道であることを確認できるだろうか。

これが「S坂」の坂名の由来ともなっている曲線なのです。

 

坂上にはこんな興味深い道路標示も見つけた。

 

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S字の道路標識

 

S字の道路標識はここで初めてみました。

坂道の道路標識でいうと多くは急勾配を示すものが一般的ですが、

「S坂」だけにS字の道路標示を掲示するとはなんとも誇らしいですね。

 

 

「S坂」を上る前に根津神社でひと休み

S坂」の別名に「権現坂」がありましたね。

それは根津神社の表門に下る坂道だから命名されたと前述しました。

案内板の説明のように「S坂」の坂下には根津神社があります。

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根津神社

ここで根津神社についても説明しておきます。

 

根津神社は今から千九百年余の昔、日本武尊千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。
江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座した。
明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神威高い名社である。

 

詳しくは公式サイトをご覧ください。

www.nedujinja.or.jp

 

 

「S坂」へのアクセス

S坂(新坂・権現坂)

住所 東京都文京区根津1丁目21と28の間

 

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臭い坂道!?赤羽の「かなくさ坂」 

飲み屋街の街、東京都北区の赤羽にもユニークな名前の坂道があります。

その名は「かなくさ坂」と呼ばれています。 

 

「かなくさ坂」と聞いただけでも何が由来になったのか想像つきません。

 

それもそのはず、少し過去を振り返らなければわからないのです。

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かなくさ坂下から

 

「かなくさ坂」の由来

「かなくさ坂」の坂下にはこのような案内板が掲示されています。

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かなくさ坂下の案内板

 

この案内板にはこのようなことが書かれています。

 

この坂は、島下公園の北側を東の方へ登る坂です。名前の由来については定かではありませんが、鉄分を多く含む湧水の影響で池土が赤錆色に染まったことを、かなくさ(金属の匂いや味がすることを金臭いといいます)と表現した、のではないかという説が知られています。

 

つまりこのあたりは鉄分を多く含む湧水があり、

それが金臭かったから「かなくさ坂」になったということと考えられる。 

 

ではなぜこの場所から鉄分を多く含む湧水が湧いていたのか?

それは赤羽という地名から容易に想像ができる。

 

 

なぜ「赤羽」という地名になった?

 

赤羽という地名は、赤褐色(アカ)と、ぬかる泥(ハネ) の赤土、すなわち関東ローム層から転じたという説がある。

皆川典久(2019)、『東京スリバチ地形散歩 都市新発見編』、P208

 

 つまり、赤羽という地名は関東ローム層の赤土との関係が非常に強いことがわかる。

 

この事実と「かなくさ坂」の坂名を関連づけていく。

「金臭い」というのはこの関東ローム層の赤土の匂いのことではないか。

 

関東ローム層は富士山や箱根山などの火山から関東平野に降下した火山砕屑物や堆積物の総称である。火山砕屑物とは火山灰などのことであり、火山灰には鉄分が含まれているのである。

 

まとめると赤羽界隈では関東ローム層の赤土との関連がとても強い傾向にあり、そのなかで「かなくさ坂」も赤土の鉄臭さを由来としている、ことがわかった。

 

このように坂道をじっくり見ることでその土地についても考えることができる。

これが地理学習の醍醐味ではないだろうか?

 

ある人はこのような学習体系を「地理思考」と言っていた。

 

 

「かなくさ坂」へのアクセス

かなくさ坂

住所 東京都北区赤羽西6丁目10-17

 

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お散歩に出かけましょう

現在、全国各都道府県には緊急事態宣言が発令されています。

不要不急の外出は控えるように言われています。

フィールドワーカーにとっては致命的な状況ですが、

いまは切り替えてこのブログを通してフィールドワークの魅力を伝えています。

 

いまは長い暗いトンネルを彷徨っているようですが、入り口があれば出口もきっと見つかります。

グローバル化の弊害とも言えるこの事態ですがみなさんで協力していち早く出口に辿り着けるように頑張りましょう。

そしてまた無理なく外出ができるようになったら東京をお散歩しましょう。

東京に限らず、家の近くでもどこでもいいです。

 

 

その地域の魅力、感性、情緒を感じ、学びに。

 

また書きますね。

 

大学生フィールドワーカー / 大学生巡検人 山口泰

 

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【東京をお散歩】坂道めぐりをしてみよう[急勾配の坂道編]

みなさんこんにちは!

このブログにアクセスしていただき、誠にありがとうございます。

東京を訪れては坂道めぐりをしている山口です。

 

新型コロナウイルス感染拡大によりなにかと不便な生活が続いていますが、

みなさまはいかがお過ごしでしょうか?

 

今回はみなさまの「おうち時間」のひとつの娯楽ツールになればいいと思い、

東京23区内の坂道に注目して、ブログを書いていこうと思います。

 

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そして今回は【東京をお散歩】坂道めぐりをしてみよう[急勾配の坂道編]ということで、

角度が急な坂道(急坂)をピックアップしてご紹介していきます。

 

 

〈坂道めぐり[日暮里・鶯谷編]はコチラ〉

fieldwork-tokyo2020.hatenablog.com

 

ダイエットをお考えの方、外出が思うようにできず運動不足の方、

都内の身近な急坂を登ったり下ったりして、美しい景観も楽しみませんか?

 

まずは急坂のひとつをご紹介します!

 

下の写真は豊島区目白台にある日無坂(左)と富士見坂(右)坂上から写したものです。

日無坂の先には早稲田方面の街並みが、富士見坂の先には新宿の高層ビル群が見渡せます。

 

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日無坂・富士見坂(豊島区)

 

写真では分かりにくいですが、このふたつの坂道は都内有数の急坂です。

 

したがって標高が高い、つまり景観が素晴らしいのです。

(この坂道へのアクセスはブログの途中に載せてあります。)

 

ということで今回は、これらの坂道のような急坂を3つご紹介していきます。

 

 

坂の下が見えない!?目白台の「のぞき坂」

まず最初にご紹介する急坂は冒頭で登場した日無坂と富士見坂にほど近いところにある、

 

目白台の「のぞき坂」です。

 

まずはこの写真からご覧ください。

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のぞき坂(坂上から撮影)

 

この写真はのぞき坂の坂上から撮影したものなのですが、道の先が見えません。

 

そう、つまりこの坂道は傾斜がかなり急な急坂なのです。 

 

では次の写真はのぞき坂の坂下から撮影した写真です。

なぜ「のぞき坂」という坂名になったのか考えながら見てみてください。

 

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のぞき坂(坂下から撮影)

 

坂下から坂道の全貌を目の当たりにすると、スケールの大きさに気がつきますね。

こののぞき坂は都内の中でも1、2を争う急勾配の坂道なのです。

ではなぜ「のぞき坂」という坂名がつけられたのか、考えていきましょう。

 

 

のぞき坂の由来

のぞき坂の坂名の由来はいたってシンプルです。

 

坂のすぐ上まで行って覗き込まないと坂下が見えないことから名付けられた。

 松本泰生(2017)、『凸凹を楽しむ 東京坂道図鑑』、P146

 

つまり坂上からのぞきこまないと坂下が見えない坂道だからのぞき坂となった。

確かに坂上から撮影した写真からは坂下どころか斜面すら見えなかった。

 

坂道を登る人々は息を切らせながら、休憩を挟みつつ徐々に登っていた。

休憩の際には一度振り返って、新宿の高層ビル群を眺めると疲れも飛んでしまうだろう。

 

 

のぞき坂の魅力

のぞき坂は神田川流域の低地から目白台に登る坂道である。

この付近にはのぞき坂のほかに、先ほど紹介した日無坂・富士見坂や宿坂、

こちらも急坂である胸突坂や幽霊坂など数多くの坂道が点在するスポットである。

 

坂道めぐりをしたいという方にはオススメしたいスポットですので、

機会があればぜひ足を運んでみてください。

 

また目白台は周囲に比べて標高が高く、景観が抜群です。

私のオススメは今回ご紹介したのぞき坂、日無坂・富士見坂の坂上からの景観です。

新宿の高層ビル群、早稲田の街並み、そして天気がよければ富士山まで見えます。

坂下には神田川のせせらぎが待っています。

 

 

のぞき坂へのアクセス

のぞき坂

住所 東京都豊島区高田2丁目付近

日無坂・富士見坂

住所 東京都文京区目白台1丁目15-8付近

 

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あの新助さんが住んでいた坂!?信濃町の「新助坂」

 次にご紹介するのは本や雑誌では滅多に紹介されないレアな急坂です。

その坂道はJR信濃町駅から北東方面へ歩くと現れる「新助坂」です。

裏道にあるため人通りはまばら、周りには多くの創価学会の建物が建っています。

 

まずはこの写真を見てみてください。

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新助坂(坂下から撮影)

 

右の写真は新助坂を坂下から撮影したものです。

こちらの坂道もなかなかの急勾配で登るのにひと苦労してしまいます。 

 

坂道には住宅地が連なっており、地形を生かした設計の住宅が多いので見どころです。

 

 

新助坂の由来

マイナーな坂道というだけあってか、

本にもネットにも正確な由来は掲載されていませんでした。

 

しかしここは予想というものを立ててみましょう。

私は「昔、新助という名前の方がこの坂道付近に住んでいたから」と予想します。

その根拠として、人名が坂名になることがあり得るからです。

例えば、アイドルグループ名で有名な赤坂にある「乃木坂」も

坂付近に住んでいた陸軍大将の乃木希典という人から名付けられたのである。

(ちなみに私は「乃木坂46」のファンで握手会等にも参加しています。)

ほかにも都内には人名を由来とした坂道が数多くあります。

このブログを見ている方もぜひ由来の予想を立てて見てください。

 

学校教育においても予想を立てて課題解決を行うことを重視しています。

フィールドワークをしているときも分からないことがあれば、

まずは自分で予想を立ててみることからはじめてみましょう。

その予想が当たっていたときの喜びはそれ以降忘れられない思い出になるでしょう。

 

 

新助坂の魅力

この写真を見てみてください。

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新助坂(坂上から撮影)

 

新助坂の坂上からの眺めです。

写真奥には明治博物館の大きな建物が見えます。

中央には高架橋が見えますが、これはJR中央線総武線の線路です。

向かって右方面には信濃町駅が、左方面には四ツ谷駅があります。

 

また、坂上にはこんなことが記されていました。

 

『新撰東京名所図会』には、「新助坂は四谷東信濃町に上る坂なり、一名をスベリ坂ともいふ、坂の下には甲武鉄道線の踏切隧道門あり」と記されている。明治30年代中頃には、新助坂の名で呼ばれていた。

 

 ここから読み取れるのは、

  • 新助坂は、別名「スベリ坂」とも呼ばれていたこと
  • 坂の下には甲武鉄道(現在の中央線)の踏切があったこと
  • 明治30年中頃には新助坂と呼ばれていたこと

                                 である。 

 

つまり、新助坂の由来の予想が正しければ、

新助という人は江戸時代から明治初期の人物であることが考えられる。

 

謎は謎のままでいいかもしれませんが、はっきりもさせたいですよね。

 

 

新助坂へのアクセス

新助坂

住所 東京都新宿区南元町6-8付近

 

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 都内にタヌキが出没!?六本木の「狸坂」

東京都内にはなんともユニークな名前の坂道も存在しています。

その名も「狸坂(たぬきざか)」です。

 

六本木には狸坂のほかにも鼠坂などユニークな名前の坂道がなぜか多いです。

その謎についても今回はお伝えしていこうと思います。

 

そして忘れてはいけないのが狸坂も急勾配の坂道であるということ。

この写真を見てみてください。

 

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狸坂(坂下から撮影)

 

狸坂もこれまで紹介してきた2つの坂道のようになかなかの急勾配ですね。

 

ここは閑静な住宅街の中の坂道というイメージを持ってもらいたい。

六本木というと外国の領事館や大使館が多く立ち並ぶ街、

自然とその付近に住んでいる人も外国の方が多く、洋風な建築物が目立つ。

 

ではなぜ閑静な住宅街の中の坂道が狸坂と名付けられたのか考えていく。

 

 

狸坂の由来

坂上の案内板にこんなことが記されていました。

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坂上の案内板

 

狸坂(たぬきざか)

人をばかすたぬきが出没したといわれる。

旭坂ともいうのは東へのぼるためか。

 

つまり、

人をばかすたぬきが出没していたから狸坂になったということ。

 

え?ジブリの世界じゃないんだからっと言いたいところですが、、。

 

結局、昔、六本木という街は自然に溢れており、タヌキを始めとして様々な動物たちが出没していたということが考察できる。今の六本木の姿を見ると、想像できませんが。

 

狸坂だけではなく、鼠坂なども存在していることが納得できる。

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鼠坂狸穴坂

 

狸坂の魅力

狸坂下から西へ歩いていき、振り向いて見るとこんな景色が楽しめる。

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下町低地と東京タワー

 

六本木の窪地に広がる下町低地と高台に建てられた東京タワーのコントラストは素晴らしい。

とくにこの日は快晴でしたので青空との相性も抜群です。

この写真からは江戸時代の分譲の歴史が読み取れますね。

狸坂を訪れる際はこの写真も記念に撮影してみてください。

 

 

狸坂へのアクセス

狸坂

住所 東京都港区元麻布3丁目6-15付近

 

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お散歩に出かけましょう

最後までブログをご覧いただきありがとうございます。

私は九州在住なので頻繁に東京を訪れることは難しいのですが、

長期休暇を利用して2〜3週間ほど東京に滞在をして巡検を行っています。

 

〈貧乏大学生が3週間も東京に滞在できたワケはコチラ〉

fieldwork-tokyo2020.hatenablog.com

 

なので東京や首都圏にお住みの方は羨ましい限りでございます。

毎週土日は東京でフィールドワークというルーティーンを夢見ております。

いつかは東京に住み着いてそんな生活ができますように。

 

また書きますね。

 

大学生フィールドワーカー 山口泰

 

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【節約】1泊1000円!?貧乏大学生が3週間も東京に滞在できたワケ

みなさんこんにちは!

定期的に東京を訪れては、路地を歩きまわっている山口です。

 

今回は、1泊1000円!?貧乏大学生が3週間も東京に滞在できたワケということで、

私の実体験をこのブログに書いていきたいと思います。

 

東京というと地方民にとってはまさに高嶺の花。

ちょっと近寄りがたい部分がありますよね。

 

その理由のひとつとして考えられるのが物価の高さだと思います。

 

こんな方もいると思います。

「東京に行くにも宿泊費がが高すぎる。」

「もっと東京を楽しみたいけど2泊3日が限界ね。」

 

そんな方々に朗報です。

東京にも1泊1000円程度で泊まれちゃうところがあるんです。

しかも安全で快適、そして女性でも安心して利用できるところもあります。

 

今回は、私の実践した方法で、かつ誰でもご利用可能なサイトやプランをご紹介していきます。

よかったら最後まで読んでいただけると幸いです。

 

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渋谷スクランブル交差点

 

 

ヒロマスホステルを利用する

東京に宿泊する際、私は必ずと言っていいほどヒロマスホステルを利用します。

理由は簡単です。

安いから、施設が綺麗だから、安全だから。

 

ここでヒロマスホステルについて書いておきますね。

ヒロマスホステルは、東京・横浜に8店舗の宿泊施設を運営しています。

宿泊に必要なものは簡素ながらも備えてあります。

リーズナブルな価格で出張や就職活動、長期旅行にはぴったりです。

詳しくは公式サイトのリンクを貼っておきますのでクリックしてみてください。

hiromas.net

 

利用するなら秋葉原店か上野店をチョイス

ヒロマスホステルは東京都内の神田・秋葉腹・池袋・上野・浅草に展開しています。

その中でも私がよく利用するのが秋葉原もしくは上野店です。

ではなぜ私はこの2店舗を選択しているのか、それは安いから。

 

◯ 実際に公式サイトから1泊分の宿泊費をみつけてみました。

 

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ヒロマスホステル秋葉原店・上野店(2020年4月16日から1泊)

 

上の写真、左が秋葉原店、右が上野店の1泊分の宿泊費が表示されています。

 

これをみただけでも理解できると思いますが、とにかく安いです。

 

1泊1000円ならば1週間泊まっても7000円、

東京だと1泊で7000円以上かかってしまうところもあるので嬉しいですね。

hiromas.net

hiromas.net

 

女性も安心、オートロックで不安なし 

お部屋のタイプは大きく2つあります。

 

・男性専用ドミトリー(上野店は男女共用ドミトリー)

・女性専用ドミトリー 

 

ドミトリーは直訳すると「眠る場所」。

イメージしやすいのはカプセルホテルのような感じです。

 

つまり、基本的に男女は別々のお部屋に入るということ。

女性のみなさんにとってはとっても嬉しいですし、安心ですよね。

 

また女性専用ドミトリーにはオートロック機能がついており、

女性にしか提示されないパスワードを入力しないと入室できない仕組みです。

外部からの侵入もないということです。

 

セキュリティー面も安心

秋葉原店の場合】

・大きな荷物や個室に入れることができないものは、

 南京錠を無料で貸していただけるので手軽にロックすることができます。 

・各個室内に貴重品等を入れるロッカーが備えられています。

 

【上野店の場合】

・大きな荷物に個室に入れることができないものは、

 自分でパスコードを決められるロッカーがドミトリー内にあります。

・各個室内に貴重品等を入れるロッカーが備えられています。

 こちらも自分でパスコードを決められる鍵です。

 

とにかく設備がキレイ

私がヒロマスホステルを利用する理由のひとつに設備がキレイという点があります。

実際に室内の写真を撮影することはプライバシーの関係でできなかったのですが、

公式サイトの写真を見ていただければわかると思います。

 

タオルと洗剤は持参しよう

ヒロマスホステルではタオルの貸し出しを行っていますが、

200円かかってしまうため、自分で持参することをオススメします。

また洗濯用洗剤の販売も行っていますがこちらも100円かかってしまうので、

薬局等で購入するか持参することをオススメします。(上野店)

 

アメニティーは充実

トイレやシャワーは24時間利用可能で、シャンプー・リンス・ボディーソープも使い放題です。またドライヤーも完備されていました。コインランドリーもあります。

 

予約をして、旅に出かけよう 

公式サイトで予約する

一番シンプルで簡単な予約方法は公式サイトからの予約ですね。 

実際、公式サイトから予約するのが最安値のときもあるので検索必須です。

 

↓ヒロマスホステル秋葉原店公式予約サイト

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 ↓ヒロマスホステル上野店公式予約サイト

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ヤフートラベルを利用する

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とくにソフトバンクユーザーにとっては無敵のサイトだと思われます。

 

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Yahoo!プレミアム会員・ソフトバンクユーザーならこれだけお得

 

ポイントサイトを経由してさらにお得にしよう

私はモッピーというポイントサイトを経由してヤフートラベルを利用し、

ヒロマスホステルを予約しています。

 

ここまでくるとなにがなんだか分からなくなってしまいそうな上級者編です。

 

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【岐阜・木曽三川】海津市と羽島市の謎の境界を巡る

桜が散りはじめ、花見も思うようにできないまま春が終わってしまいそうですね。

緊急事態宣言が各地で発令され、家庭での時間が増えていると思います。

いまだからこそできることを行い、「おうち時間」を有効活用しましょう!

 

みなさん、こんにちは!

境界線を巡ることに興味を持ちつつある山口です。

このブログにアクセスしていただき、ありがとうございます。

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濃尾平野本巣市船来山より)

 

今回は木曽三川海津市羽島市の謎の境界を巡るということで、普段はあまり意識しない市町村同士の境界について、岐阜県海津市羽島市の例を元に、「境界」のおもしろさをお伝えしていこうと思います。

 

私自身も「境界」については、まだまだ勉強不足ですのでお手柔らかにお願いします!

 

上の写真は岐阜県本巣市にある船来山から、岐阜県と愛知県をまたがる濃尾平野を写したものです。ここからは平野が一望でき、天気と条件がよければ名古屋駅付近の高層ビル群までも見える、大変素晴らしいビュースポットです。

 

しかしながらこの船来山には古墳群があり、その大部分を本巣市教育委員会が管理しているため、一般の方はこの山に登ることができません。今回、私は知人との繋がりで本巣市から許可をいただき、特別に見学させていただきました。

 

では本題に入りましょう。

 

 

謎の境界、なぜこうなった!?

木曽三川と境界

まずはこの地図を見てください。

※赤のマーカーは各市町村の境界を示しています。

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海津市愛西市桑名市の境界

 

これは岐阜県海津市愛知県愛西市三重県桑名市の境界付近の地図です。

いわゆる木曽三川、左から揖斐川長良川木曽川の3つの大河が集まる輪中地帯です。

 

海津市の先端部分には木曽三川公園という大型の公園があり、木曽三川の歴史などを学べるスポットとして役割を果たしている。県内の多くの小学生は社会見学として、ここを訪れる場合が多いため、岐阜県民にとってはおなじみの場所である。

この時期は園内の色鮮やかなチューリップが見ごろを迎えている。

www.kisosansenkoen.jp

 

さて、また話が逸れてしまったが上の地図に目を戻してほしい。

 

基本的に県境や市町村境は、「川や山など自然物を境とするもの」「水路や線路など人工物を境とするもの」「旧河川や暗渠など過去に存在した自然物を境とするもの」などが挙げられる。

 

上の地図もよく見てみると、木曽三川という川を境に境界線が引かれていることが確認できる。地図の左側、海津市桑名市の境界は一見、無作為に境界が引かれているように見えるがここにもちゃんと山除川という川が流れている。

 

そう、上の地図の事例は

よくある「川や山など自然物を境とするもの」である。

 

では例外を見ていこう!

 

==================================

 

こんなところに境界が、、

では次はこの地図を見てほしい。 

※赤のマーカーは各市町村の境界を示しています。

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羽島市海津市輪之内町の境界

 

左の地図を拡大したものが右側である。

この地図を見て、なにか違和感を感じないか?

 

羽島市の一部が長良川を飛び越えて、海津市と地上で隣接している。

 

この境界には川がある。

と言いたいところだが、実際には川は存在していない。

 

こうゆう場所を一般的に「飛び地」とも言ったりするが、なぜあえて川を隔てて境界線を引いているのか。川を隔てているということは、市役所や自治体が運営する機関に行くとき、わざわざ橋を渡っていかなければならない。ちなみにこの飛び地と右岸側の羽島市を直接結ぶ橋は存在しておらず、少し迂回しなければならない。

 

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羽島市海津市の境界

 

いっそのこと、上の紫のマーカーのように長良川を境界にした方がいいのでは?

と思ってしまいますね。

 

====================================

 

境界線は人工的な水路!?

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羽島市海津市の境界

ご覧の通り、羽島市海津市の境界には水路があります。

川のように蛇行しておらず、直線状なため、人工の水路であると考えられます。

 

つまりこの境界は、

水路や線路など人工物を境とするもの」である。

 

これで一件落着っと思いきや、なにかを忘れていませんか?

まだ、なぜ羽島市の一部が飛び地になっているか解明できていません。

 

====================================

 

飛び地になっている本当の理由

境界の海津市側にこんな石碑がありました。私も薄っすら出演しています。

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回顧碑(松山中島土地改良区)

 

回顧碑(一部抜粋)

松山中島というこの地域は高須輪中の北東部に位置し平田町・海津町(現:海津市)及び羽島市に跨る農地約56ヘクタールの一団地である。そもそもこの地域は昭和5年に長良川廃川敷を岐阜県から払い下げを受け耕地整理を行い開田した区域でその後度重なる土地改良事業により改良が加えられ現在の美田が完成したものである。由来を遡れば明治20年以降実施の長良川を含む木曽川下流河川改修により廃村になった松山中嶋村の再興を望んだ旧村民四十数名が数百回に及ぶ請願陳情の結果廃川敷を取得松山中島耕地整理組合を設立開墾排水機建設等苦労を重ねた結果から得た意義ある農地で特に献身的努力を払われた神田甚之助氏及び松永清太郎氏の功績は筆舌に尽くし難いものがある。

 

回顧碑(かいこひ)とは、過去の出来事を思い返すための碑のことである。 

廃川敷とは、人工的に廃止された河川の敷地のことである。

 

つまり、

羽島市海津市の境界線となっているあたりの地区には、

もともと長良川が流れていた

ということが回顧碑から読み取れる。

 

=================================

 

高低差で読み取る廃川敷

ではここからは実際に長良川が流れていた痕跡を探しに行きましょう。

※茶色のマーカー部分は「田」を、緑のマーカーは「畑」を示しています。

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長良川廃川敷と田畑の分布(右:地理院地図より)

 

長良川廃川敷付近をフィールドワークしてみると、おもしろいことが分かる。

 

羽島市海津市の境界線を歩いていると、

羽島市側には住宅地と「畑」があるのに対して、

海津市側には「田」が広がっていることがわかる。

 

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上:羽島市(微高地) 下:海津市(廃川敷)

 

田んぼに適した土地というと、「水が豊か」「広くて平らな土地」「水はけの良い土」「昼夜の温度差が大きい」の大きく4つの特徴が挙げられる(京都辻農園)。

 

対して、畑は「水はけの良い土」は必要だが、

「水の豊さ」や「広くて平らな土地」は必須の条件ではないと考えられる。

 

上記の太字に当てはまるのは、濃尾平野

つまり、廃川敷の海津市側の土地。

 

また、土地の高低差に注目して見てみると、、、

 

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羽島市方面(東)を見たときの高低差

 

つまり、

飛び地になっている羽島市の一部は、まわりの土地より微高地になっており、これは長良川が現在の廃川敷を流れていたとき、陸地であったことを示していると考えられる。

 

微高地であるということは、水を引くことが容易ではない。

だから微高地である羽島市の飛び地では「畑」が発達したと考察できる。

 

 ===================================

 

まとめ

もともと長良川は現羽島市海津市の境界線上を流れていた。

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長良川流路と推測

 

その証拠として、羽島市の飛び地が微高地であること」「廃川敷と考えられる場所には田んぼが広がっていること」「回顧碑に事実が明確に示されていること」が挙げられる。

 

 

したがって、羽島市海津市の境界は、

水路や線路など人工物を境とするもの」だけでなく、

「旧河川や暗渠など過去に存在した自然物を境とするもの」

でもあることが分かった。

 

そして、私は上の右の地図のようにもともと羽島市の飛び地は右岸側の羽島市と陸続きになっていたと推測する。そうでなければ、飛び地が発生する根拠がはっきりしないからだ。

 

実際、東京では多摩川や荒川などの流路変更によって、複数箇所で飛び地が発生している。その例と今回の事例がよく似ているという点も根拠のひとつだ。

 

この地域は海抜が低いため、度々洪水に悩まされていたという過去がある。

したがって、洪水防止のため、カーブした長良川をほぼ直線にしたと推測する。

 

====================================

 

岐阜県を訪れてみよう

実は、岐阜県は私の地元です。

 

最近ではNHK大河ドラマ麒麟が来る」で有名ですが、今回の「境界」のように他にも多くの魅力が満載です。ぜひこのブログを参考にしていただきたいです。

 

いまは「おうち時間」が推奨されていますが、またなんの不自由もなく外出ができるときになったら、ぜひ境界めぐりをしてみてください。

 

ブログを最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

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