大学生フィールドワーカーのブログ

散歩を通して、新しい発見をする。

【大分・別府】温泉地に現れた謎の道路模様

みなさん、こんにちは!

県をまたぐ移動が自粛され、最近は自宅近辺でフィールドワークをしている山口です。

 

緊急事態宣言が解除され、日常が戻りつつありますが油断は禁物です。

今だからできること、「おうち時間」を有効活用しましょう。

 

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さて今回は【大分・別府】温泉地に現れた謎の道路模様ということで、

普段はあまり意識しない道路模様について書いていこうと思います。

 

そして今回の舞台は大分県別府市

大分県別府市」と聞くと、まず何が思い浮かびますか?

おそらく大半の方は温泉と答えるでしょう。

 

逆にいうと大分って温泉のイメージしかないという方も多いと思います。

 

実際、「大分県」とネットで検索すると、日本一の「おんせん県」という観光情報公式サイトが出てきます。自ら「おんせん県」と名乗るくらいですから、大分県にとっては温泉という存在をとても重要な観光資源として捉えていることが分かります。

 

全国的には「別府温泉」という名称で覚えられがちですが、別府市内には大きく9種類の温泉があります。それぞれに名称が付けられており、その中でも「鉄輪温泉(かんなわおんせん)」は代表格とも言われています。

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鉄輪温泉界隈と湯けむり

今回は謎の道路模様についてお伝えしていくのですが、

その成り立ちには別府温泉とそこに住む人々との切っても切れない関係があったのです。

 

ここからは本題に入っていきましょう。

 

 

温泉地に現れた謎の道路模様

あの高級住宅地に似た道路模様

まずはこの地図をご覧ください。 

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大分県別府市南荘園町付近(Google Mapを使用)

 

これは大分県別府市南荘園町付近の地図です。

ここは別府駅から北西に2.3kmほど離れたところです。

 

境川の下、地図の中央部にご注目ください。

なにやら興味深い道路模様が見えますね。

 

この地図を見る限り、円もしくは六角形を中心にして同心円状に6方向に向けて直線の道路が通っていることが分かります。

 

この地図をズームしていくと、ここは住宅地であることも分かりました。

 

この道路模様を見て、何か思い浮かびませんか?

どこかで見たような道路模様だなと私は思い、自分の記憶を辿りました。

 

 

「そうだ、田園調布だ。」

 

 

私は以前フィールドワークしたことがあった田園調布を思い出しました。

田園調布は東京都大田区に位置しており、あの渋沢栄一らが設立した田園都市株式会社

による開発によって完成した高級住宅街です。

みなさんも一度は聞いたことがある地名ではないでしょうか?

 

その田園調布の道路模様は実にユニークで、美しい。

東京都の渋谷駅と神奈川県横浜市横浜駅を結ぶ東急東横線田園調布駅を中心に広がる

放射状の街路パタンは田園調布のトレードマークになっています。

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田園調布(Google Mapを使用)

別府と田園調布の道路模様、

なんとなく似ているなと感じませんか? 

 

私はそう感じたので、さっそく現地でフィールドワークしてきました。

 

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道路模様の成り立ち

私はこの道路模様を発見した翌日、居ても立っていられず別府に向かいました。

実際にこの場所にたどり着くと私の予想に反した建物が立っていました。

そのことはのちのち書くことします。

 

ここの頁ではこの道路模様がなぜ完成されたかと解説していきます。

まずはみなさん予想してみましょう。

 

私の予想をご紹介します。

 

大分県別府市南荘園町付近の地図上部を見ると「荘園通り」が通っていることが分かります。さらにその通りの上に薄いピンク色をした敷地が確認できます。その敷地には「九州大学病院別府病院」が建っています。そこでピンときました。東京都の田園調布が高級住宅地であることを鑑みて、この同心円状の住宅地には病院で働く医療従事者の方々が住んでいると予想しました。

 

分からないことを探求するとき、まず予想をすることはとても大切です。

読者のみなさんもぜひ予想をしてみてください。

 

中心にある敷地にたどり着くとこんな案内板がありました。 

 

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緑ヶ丘中央温泉(六角温泉)について

 ここにはこんなことが書かれていました。

 

緑ヶ丘中央温泉(六角温泉)について

昭和8年、泉部土地建物の全身の会社である、国武合名会社は観海寺・荘園一帯を郊外型高級別荘地として開発を計画し、荘園は「緑ヶ丘(みどりがおか)」「雲雀丘(ひばりがおか)」「百花村(ひゃっかそん)」「鶯谷(うぐいすだに)」と4つのエリアに分け、それぞれの中心付近に共同温泉を建設した。

「緑ヶ丘」(現南荘園町)は、同心六角形の放射状街路で構成され、その中央には街のシンボル的な存在の六角形の外観を持つ緑ヶ丘中央温泉(通称六角温泉)が建設された。この共同温泉は地域の社交の場、娯楽の場である。放射状の街づくりの原型として考えられたのが「東京・田園調布」「パリ・シャルルトゴール広場」であった。

六角温泉は昭和8年浜脇の大工・田仲亀鶴によって建築された。

平成16年9月、六角温泉は大型台風の罹災に遭い大破。

平成17年1月より「新六角温泉」の建設が始まり、同年5月完成する。

(一部省略)

 

興味深い「六角温泉」というワードが見られますが、、、少し置いておきましょう。

 

ここで注目して欲しいのは以下の3点です。

  • 昭和8年土地開発が始められたこと
  • この地域は郊外型高級別荘地として開発されたということ
  • 田園調布とシャルルトゴール広場を原型として開発されたこと

 

まずこの南荘園町(旧緑ヶ丘)の道路模様は東京都の田園調布とパリのシャルルトゴール広場を原型にして開発されたこと、この事実になぜか感動を覚えます。それは似ているなと考えていた場所が実際のところ、原型として扱われていたことに気づけたからだと思います。

 

パリのシャルルトゴール広場は、有名な「エトワール凱旋門」があるところです。

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シャルルトゴール広場(Google Mapを使用)

 

また南荘園町(旧緑ヶ丘)の開発が昭和8年から始められたという点、

私の予想が当たっているのであるならば、九州大学病院別府病院は昭和8年前後に設立されていることになる。

それを確かめるため、病院の公式サイトに飛んだ。

 

するとそこにはこんなことが書かれていました。

 

当院は、昭和6年九州大学温泉治療学研究所の診療科としてここ別府の地に発足し、開設以来80年以上の歴史を持ちます。

沿革 | 病院紹介 | 九州大学病院 別府病院|大分県別府市 

 

これを見て、ビビッとしました。 

私の予想が当たった、とまでは言い切れませんがもしかするともしかもしれません。

 

 

結論として、

南荘園町(旧緑ヶ丘)がこのような同心六角形の放射状街路になったのは、

田園調布やシャルルトゴール広場を原型に、

高級住宅地として開発されたからということがわかった。

そしてそこに住んでいたのは裕福な九州大学病院別府病院の医療従事者たち?という

半分予想で半分確信の説も考えられる。

 

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南荘園町と緑ヶ丘

ちなみに「緑ヶ丘」という地名も電柱に残っていた。 

 

では次は、先ほど出てきた六角温泉について解説していく。

 

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円の中心部には別府ならではの◯◯が!?

先ほど出てきた案内板の内容をここにも載せておきます。

 

緑ヶ丘中央温泉(六角温泉)について

昭和8年、泉部土地建物の全身の会社である、国武合名会社は観海寺・荘園一帯を郊外型高級別荘地として開発を計画し、荘園は「緑ヶ丘(みどりがおか)」「雲雀丘(ひばりがおか)」「百花村(ひゃっかそん)」「鶯谷(うぐいすだに)」と4つのエリアに分け、それぞれの中心付近に共同温泉を建設した。

「緑ヶ丘」(現南荘園町)は、同心六角形の放射状街路で構成され、その中央には街のシンボル的な存在の六角形の外観を持つ緑ヶ丘中央温泉(通称六角温泉)が建設された。この共同温泉は地域の社交の場、娯楽の場である。放射状の街づくりの原型として考えられたのが「東京・田園調布」「パリ・シャルルトゴール広場」であった。

六角温泉は昭和8年浜脇の大工・田仲亀鶴によって建築された。

平成16年9月、六角温泉は大型台風の罹災に遭い大破。

平成17年1月より「新六角温泉」の建設が始まり、同年5月完成する。

(一部省略)

 

地域の社交の場・娯楽の場として、同心六角形の中心に共同温泉を建設するとは、

なんとも温泉地・別府ならではと感じさせてくれる。

 

田園調布の場合は東急東横線田園調布駅が建設されていますね。

私だったら公園や公民館を作りたいと思います。

これって田舎者の考え方ですよね。笑

 

もともとあった六角温泉は近年の大型台風によって大破。

その後再建され、現在では新六角温泉として活躍しています。

同心六角形の中心だから「六角」温泉になったというところも面白い。

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新六角温泉

この写真は新六角温泉を正面入り口を写したものです。

 

注意書きのところには、こう書かれている。

 

組合員以外の方は入浴できません。

 

つまりあくまでもこの地域の憩いの場としての共同温泉だから、部外者は入浴できない。

代々、守り続けてきたポリシーみたいなものがあるのだろう。

 

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現在の姿

先ほどの案内板には昭和8年にこの地域は開発されたとあった。

では現在はどんな様子なのか、写真を見ながら解説していく。 

次の写真はそれぞれの番号がそれぞれの方面を撮影したものである。

 

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新六角温泉とその周辺住宅

 

①の写真は西方面を写したものです。中央左の黄色の建物が「新六角温泉」です。

わかりにくいですが微妙な傾斜のある上り坂になっています。

その背後には大きく連なる山々が見えます。

別府市扇状地が市街地化した地域なので、市内全域に坂道が多いのが特徴です。

住宅地に目を向けてみると、写真の中央右に新旧がはっきりとした2棟の住宅が見えます。

これは再開発が進められていることを知らせてくれます。

 

②の写真は①の逆方向、東方面を写したものです。中央右の建物が「新六角温泉」です。

こちらは下り坂になっていることを確認できるだろうか。

わかりにくいですが、その先には別府湾が広がっています。

住宅地に目を向けてみると、写真の中央左に年季の入った住宅が見える。

 

 

南荘園町をフィールドワークしてみてわかったのは、

田園調布のような人が寄り付き難いような高級住宅地ではないということ。かつて、どうだったかはわからないが、今ではごく庶民的な生活が営まれているようだった。

※これはあくまでいい意味で言っているのです。

 

 

新六角温泉

住所 大分県別府市南荘園町2169-67

www.coara.or.jp

 

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お散歩に出かけましょう

今回は【大分・別府】温泉地に現れた謎の道路模様ということで、

大分県別府市南荘園町をフィールドワークしました。

 

今回のブログの結論としては、

  • 謎の道路模様は高級住宅地開発の名残りであること
  • その中心には憩いの場として共用温泉があること
  • 現在は庶民的な生活が営まれていること 

 の3点にまとめることができる。

 

大分県にお越しの際は、機会があれば訪れてみてもいいかもしれません!

 

 

現在は緊急事態宣言が全国に発令されており、なかなか外出する気分にもならないかと思います。私がこのブログを書いているのは、そういう状況の方に少しでも外出した気分を味わっていただくため、読者そして私自身の「おうち時間」の消費のためであります。

 

時間があるいま、できることを全力でやりぬき、その成果をコロナ収束後に発揮できるようにお互いがんばっていきましょう。そして乗り越えましょう!!

 

また書きますね。

 

大学生フィールドワーカー  / 大学生巡検人 山口泰

 

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