2020年7月7日(火)
先月、九州地方を中心に全国各地で猛威をふるった「令和2年7月豪雨」は、大分県内でも甚大な被害をもたらした。県内に被害が出た7月7日深夜、私はスマートフォンから鳴り響く警報アラームに恐怖を覚え、居ても立っても居られない感覚に陥った。
翌早朝、私は原付バイクを走らせ、大分川が氾濫したという由布市挾間長下市地区に入った。木々が無造作に食い込んだ橋梁、土砂が入り込んだコンビニエンスストア、浸水した住宅から家具を運び出す住民。そこで目に飛び込んできた光景は、私の常識を見事に覆した。それだけではない。被災地に漂う土砂の匂い、鳴り響くサイレンの音。目だけではなく、鼻や耳でも自然の恐ろしさを感じることができた。
災害が起これば、マスメディアがその模様を様々な媒体を通して、私たちのもとに届ける。しかしながら、届けられるものは視覚的なものに限る。自分で観て、匂って、聞かなければ分からない自然の恐ろしさは、被災地にしか存在しない。私はこの体験を通して、「被災地で」災害を学ぶことの大切さを学んだ。
※この文章は、2020年8月に書かれたものです。
【令和2年7月豪雨】災害ボランティア派遣を終えて
読者のみなさん、こんにちは!
大学生フィールドワーカーの山口泰輝です。
令和2年(2020年)7月3日から7月31日にかけて、熊本県を中心に九州や中部地方など日本各地で発生した集中豪雨、通称「令和2年7月豪雨」。とくに熊本県を流れる球磨川水系では特別養護老人ホーム「千寿園」において入所者14人が死亡するなど、甚大な被害をもたらした。この災害による人的被害は、8月7日時点で、死者82名、行方不明者4名、負傷者28名となっている(消防庁発表)。
今回のブログでは「令和2年7月豪雨」による被災地への「災害ボランティア」派遣における自身の体験をまとめました。「災害ボランティア」って、どんなことするの?大変なの?と思われる方が多いと思います。そんな疑問に答え、「災害ボランティア」をより肯定的に捉えてもらうために、このブログを書きました。読者のみなさんが、ボランティアに参加してみたいと少しでも思っていただけると幸いです。
この記事は以下のような人におすすめ!
- 「災害ボランティア」に興味がある
- 「災害ボランティア」は大変じゃないのか?
- 「災害ボランティア」ってどんなことするの?
- 「災害ボランティア」のメリットってなに?
「災害ボランティア」は「誰かのため」だけでなく「自分のため」にもなります。
この意味が少しでも理解していただけるように。
どこで、どんな活動したのか?
「令和2年7月豪雨」では、メディアでよく報道されていた熊本県だけではなく、全国各地において大きな被害が出た。そのうち、大分県においても河川の氾濫や越水によって、大きな被害を受け、死者も複数出た。大分県では2020年7月7日から8日にかけて、断続的に激しい雨が降り続け、大分市や由布市を流れる大分川や日田市を流れる玖珠川などで、大規模な河川氾濫が発生し、建物の床上床下浸水が広範囲で発生した。
私が通っている大分大学では、7月下旬の3日間と8月1日、2日の2日間、「令和2年7月豪雨」による大分県内の被災地への学生及び教職員による「災害ボランティア」を派遣しました。大分大学減災・復興デザイン教育研究センターと被災地の社会福祉協議会との連携によって、玖珠町九重町と日田市天瀬町において、民家の床下の泥出しや橋梁の清掃等の作業を行いました。(大分大学公式HPより一部抜粋)
コロナウイルス感染拡大予防として、県外への移動は控えるという大学側の意向のもと、今回のボランチィア派遣先は大分県内に限るということが、以前から決められていました。つまり、県内の被害は県内の力で対処しなければいけないということです。
私は2020年7月26日(日)と8月1日(土)の2日間、大分県日田市天瀬町に「災害ボランティア」として派遣されました。天瀬町は大分県の西部に位置しており、大分市からは高速道路に乗って1時間30分ほどかかります。歴史のある温泉地で、観光地として脚光を浴びていました。
派遣1日目である7月26日(日)は、日田市天瀬町において住宅の中に積もった土砂をひたすら運び出す作業を行いました。建物内には予想をはるかに超えるほどの土砂が流れ込んでおり、自然災害の凄まじさを改めて感じる機会となりました。また発災から約3週間経っても、そういった状況であったため、復旧が進んでいない現状を知ることとなりました。
派遣2日目である8月1日(土)は、日田市天瀬町において橋梁と川沿いの歩道の清掃等を行いました。この日はボランティアへの参加者が多く、テキパキと作業を進めることができました。しかしながら作業場への道中、一階部分がすっからかんになってしまった住宅街を歩むごとに、ここでも災害への恐怖心を抱きました。
被災地の状況と課題
以下の2枚の写真は、同じ場所を写したものです。
派遣2日目である8月1日(土)に活動場所となった天ヶ瀬橋の写真を見ていただきました。同じ場所とは思えないほど、復旧が進んでいることがわかります。橋梁に引っかかっていた木々が無くなり、抜け落ちたコンクリートも土で埋め立てられ、整地されています。このように人が生活するための最低限のライフラインは、比較的復旧が進められていることがわかりました。私たちも少しは助けになったかと思うと、誇らしいです。
しかしながら、復旧が進んでいないところも多く見られました。
玄関の戸が変形したり、ガラスが割れたり、安心して暮らせなくなってしまった住宅が何軒も見られました。もちろん住民の方は居らず、現在は一時的に公営住宅に暮らしを移しているようです。このように復旧が進んでいるところもあれば、進んでいないところも存在しています。梅雨が明け、本格的な夏が到来していますが、今後は台風による大雨が懸念されます。復旧をどのように進めていくのか、地域住民と自治体との連携が今後の重要な点であり、課題でもあります。
つまり、被災地には人手が必要であり、ボランティアが必要なのです。
災害ボランティアの実際
「被災地には、災害ボランティアとして、約〇〇人が集まりました。」
よくテレビのニュースでは、被災地における災害ボランティアの姿が報道されます。視聴者であるみなさんは、そのような報道を見て、どんなことを感じ、考えるのでしょうか。「大変そうだな」「暑いのにすごいね」「なぜあえて被災地に行くのだろう」数ヶ月前の私は、こんなことを感じていました。みなさんも同じようなことを感じていたのではないでしょうか。
しかしながら、実際の災害ボランティアは、私の想像とは全く異なるものでした。
ひとつ言えるのは、災害ボランティアは決して大変なことではない、ということです。ボランティアは仕事ではありませんから、無理をする必要はないのです。また大変だと思ったら、誰かに任せたり、協力を求めたりすればいいのです。もちろん灼熱の炎天下での活動は、大変かもしれません。しかしボランティアが派遣先で体調を崩してしまったら、元も子もありません。そのような事態が起こらないために、活動中は過度に休憩をとったり、現地では水分の配布が行われたりしています。基本的に、活動を10分間行ったら、休憩を10分間取ることを意識して、それを何度も繰り返します。また水分補給だけでなく、塩分補給も休憩ごとに行いました。
総じて、活動全体を振り返ると、大変さよりも作業に対する達成感の方が勝り、「楽しい」という気持ちが湧いていたことに気が付きました。活動中はお互いに声を出し合い、まるで祭りのような雰囲気が漂っていました。ボランティア活動に対して、なぜ「楽しい」と感じたのか。その答えは、要素が多すぎて、すべてを書き表すことができませんが、あえて言うのであれば、被災地の方々の感謝の言葉と復旧に携わることができたという達成感だと思います。
もうひとつ、私の想像と異なっていたことがあります。それは災害ボランティアとしての女性の活躍です。みなさんの災害ボランティアのイメージだと、男性が住宅の床下の泥を取り出したり、泥を被った家具などを運び出したりする作業が頭に浮かぶと思います。しかしながら災害ボランティアは、それだけが仕事ではありません。女性だからこそできる災害ボランティアが存在しています。それは被災者の気持ちに寄り添ったり、会話をしたりして、心のケアを行うボランティアです。明らかに男性よりも女性に適したボランティアであることがわかります。実際に、今回の派遣ではそのような機会は設けられなかったものの、被災地における女性のニーズは高いと関係者の方がおっしゃっていました。
災害ボランティアは男性だけでなく、女性のニーズも高いことがわかりました。
被災地で学ぶ、災害の恐ろしさ
みなさんは、ある災害において被害を受けた被災地を訪れたことはありますか。訪れたことがある読者のみなさんは、そこでどんなことを感じ、何を考えたでしょうか。おそらく自然の恐ろしさを感じ、発災時の様子を思い浮かべたでしょう。私は昨年9月(2019年9月)に東日本大震災で被災した南三陸町や東松島市を訪れ、津波の恐ろしさを実感しました。また発災から8年間経っても、復興が進んでいないということも自分の目で確かめることができました。
多くの読者のみなさんは、学校での学習やメディア等を通して、災害について学んできたと思います。しかしながらその学びは表面的なものばかりで、実際は現地に行ってみなければ学べないことだらけなのです。それは被災地の匂いや被災者の表情、復旧復興の進み具合などが該当します。
そして、今回の大分県日田市天瀬町における災害ボランティア派遣では、「被災地で学ぶ」ということの大切さを改めて感じることとなりました。メディアの報道だけではわからない、被災地のありのままの姿を見ることには、非常に意義があると考えています。だからこそ、学校教育において体験的な学習を増やし、とくに防災教育については、実際に被災地を訪れ、児童生徒が五感で学ぶ教育体制が確立してくれることを期待しています。
災害ボランティアの意義と展望
「災害ボランティア」は「誰かのため」だけでなく「自分のため」にもなる。
これが私が考える災害ボランティアの意義です。ここまで「令和2年7月豪雨」における災害ボランティアを体験した私自身が、活動を通して分かったこと、感じたこと、考えたことを大まかに示してきました。活動に参加する前の私の感覚だと、ボランティアは「被災者のため」「誰かのため」に行うものだと思っていました。それはもちろんのことで、被害に遭われた方の補助をするのがボランティアとしての一番の役目です。しかしながら活動を続けていく中で私は、ボランティアが「自分のため」にもなっているということに気づきました。それに気が付いたのは、活動中ではなく、活動後でした。その成り行きを以下で示します。
私はこの2日間のボランティア派遣において、両日ともに大分大学災害ボランティア派遣としてのリーダーを務めました。リーダーと言っても、役目としては全体の誘導や全体への説明、活動中の体調管理等で、とくに大変な仕事はありませんでした。しかしながら初対面の学生らに対して、指示を行うことに関しては、少し抵抗感がありました。その抵抗感に対抗しつつ、2日間やりきることができたこと自体にも意義があったのですが、それ以上にその後の生活において意外な効果が現れてきたのです。それは緊張することが極端に減ったということです。私自身は、恥ずかしながら上がり症なところがありまして、人前で話をしたりすることが苦手でした。今までに何度も人前に立って話す機会があったものの、なかなか改善できない悩みでした。しかし驚いたことにこのボランティア派遣におけるリーダーを経験したことによって、今までは緊張してなかなか話すことができなかった人前で、自信を持って話すことができるようになったのです。つまりボランティア活動は「自分のため」にもなった、大きな転換点となったのです。リーダーを経験したから、そうなったわけで、ではリーダーではなかったら成長はないのか、いやいやそんなことはありません。ボランティアに参加すること自体素晴らしいことなのです。
「災害ボランティア」は、あなたを必ず成長させてくれます。
「災害ボランティア」はいわゆる「復旧」に対する支援活動だったのですが、今後は「復興」にシフトチェンジしていきます。 その「復興」に学生としてどのように参画していけるのか、私は少しずつではありますが構想を膨らませています。
おわりに
このブログでは「災害ボランティア」において活動した私自身の体験を書きました。このブログを読んでくださった読者のみなさんの中で、一人でも多くの方が「ボランティアの参加してみようかな」「なんとなくボランティアについて分かった」と思っていただいていたら幸いです。
「災害ボランティア」は「誰かのため」だけでなく「自分のため」にもなる。
この意義を最後に強調していきます。
また書きますね。
《 自己紹介 》
名前:山口泰輝(やまぐちたいき)
年齢:1999年生まれの21歳(大学3年生)
趣味:フィールドワーク、散歩、アイドル、読書、セーリング、釣り、船舶運転など
行きたいところ:ローマ、両毛、千葉、鳥取、高知、山形など
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【北九州】ゼンリンミュージアムに行ってみた!
読者のみなさん、こんにちは!
大学生フィールドワーカーの山口泰輝です。
今回は地図好きにはたまらない、地図の博物館であるゼンリンミュージアムをご紹介します。ゼンリンミュージアムは福岡県北九州市にある先月オープンしたばかりの博物館です。
私は数ヶ月前からこのミュージアムのオープンを待ち望んでいました。6月中旬に県外への移動が可能となり、大学からも許可がおりたので、さっそく行ってきました。
この記事は以下のような人におすすめ!
- 地理や地図が好き
- 旅行や街歩きが好き
- 地図をみたことがあるが楽しみ方がわからない
- ゼンリンミュージアムに興味関心がある
この記事では主にゼンリンミュージアムで感じたこと、オススメしたいことを書いています。この記事を読めば、きっとあなたもゼンリンミュージアムに行きたくなるはずです。
でははじめましょう。
ゼンリンミュージアムとは?
ゼンリンミュージアムは2020年6月6日(土)にオープンした地図の博物館です。
館内フロアでは地図の歴史や変遷、そして海外と日本の地図の違いなどを見て学ぶことができます。また館内では"Zキュレーター"と呼ばれる地図の楽しみ方を伝えるスタッフさんが巡回しています。文章では伝えきれない、地図の時代背景やエピソードを丁寧に案内してくれます。そこでしか聞けないお話を聞けるかも!?
以下ではゼンリンミュージアムの概要を示しておきます。
【開館時間】 10:00〜17:00
【休館日】 月曜日(ただし祝日の場合は翌平日)
【入館料】 1000円(8名以上の団体及び障がい者とその同伴者は800円)
※保護者同伴の小学生以下は無料
【所在地】 福岡県北九州市小倉北区室1-1-1 リバーウォーク北九州14F
【お問合せ】 TEL:093-592-9082 FAX:093-592-9073
最寄り駅はJR西小倉駅ですが、JR小倉駅から歩いてもとくに遠くは感じませんでした。またその道中には常盤橋という小倉の五街道(長崎街道・唐津街道・中津街道・秋月街道・門司往還)の起点である橋があったり、「伊能図」でお馴染みの伊能忠敬が九州で測量を始めた起点を示したモニュメントが立っていたりしています。ぜひ立ち寄ってみてください。
《 ゼンリンミュージアムの公式サイトはこちらをクリック 》
ゼンリンミュージアムの魅力3選
①地図の歴史と変遷を巡る3部構成
ゼンリンミュージアムのフロアでは時代ごとに地図が展示されており、徐々に日本地図が現在の形に変わっていく変遷を楽しむことができます。展示されている地図にはそれぞれ詳しい説明が付されており、その地図が書かれた時代背景や地域ごとの違いなどと一緒に楽しむことができます。
第一章では16〜19世紀における"世界の中の日本"に焦点を当て、オルテリウスやモレイラ、ケンペルなど海外で活躍した地図職人が書いた日本地図を時系列順に展示されています。
第二章では19世紀における"伊能図の出現と近代日本"に焦点を当て、江戸時代に活躍した伊能忠敬や高橋景保などが書いた、第一章の地図よりさらに具体的な日本地図を見ることができます。
第三章では17〜20世紀における"名所図会・観光案内図・鳥瞰図の世界"というテーマで、第一章や第二章とは少し違った視点で地図を見るフロアです。
②"Zキュレーター"のきめ細かい対応
ゼンリンミュージアムのフロアには"Zキュレーター"と呼ばれる地図の楽しみ方を伝えてくれるスペシャリストが巡回をしています。地図は造形物と同じで、作成者の性格や考え方が反映される、いわば芸術作品のようなものです。つまり作成者の主観で書かれた地図の潜在的な情報をすべて読み取ることは不可能なのです。
"Zキュレーター"のみなさんはこんな困った事態に助言をくれる存在です。こちらの何気無い質問に答えてくださったり、実際に現在の地図帳を使って解説をしてくれたりします。"Zキュレーター"のみなさんは非常に親切で、話しかけやすい雰囲気をもっていらっしゃいました。
③大満足のサービス
②にでも書きましたが、ゼンリンミュージアムのスタッフさんはとても親切で、丁寧に対応してくださります。また新型コロナウイルス対策として入館前に検温を行っており、安心して館内を利用できます。
検温後、受付を済ませると立派なパンフレットとチケットホルダーがいただけます。これらの代金は入館料(1000円)に含まれているようです。またプレゼント引換券もいただけて、同リバーウォーク1Fの"Map Design GALLERY"にて記念品と引き換えることができます。"Map Design GALLERY"とはZENRINが運営する地図をモチーフにした雑貨店です。そのプレゼントは実際に行ってからのお楽しみとしておきましょう。
"Map Design GALLERY"でお買い物
ゼンリンミュージアムを楽しんだ後は、同リバーウォーク1Fにある"Map Design GALLERY"という地図をモチーフにした雑貨店に行ってみましょう。
ゼンリンミュージアムの受付にて貰えるプレゼント引換券をスタッフさんに渡すと、素敵なゼンリンミュージアムのマグネットをいただきました。
《 Map Design GALLERY公式サイトはこちらをクリック 》
お散歩に出かけましょう
最近は真剣に大学院進学について考えるようになりました。とは言っても再来月には教育実習、実質夏休みはありません。まったく違う系統の学問への挑戦、やりたいことがあるので苦ではないです。このブログも軌道に乗ってきました。これからはなかなか書けない日々が続くと思いますが、何卒よろしくお願いいたします。
また書きますね。
《 自己紹介 》
名前:山口泰輝(やまぐちたいき)
年齢:1999年生まれの21歳(大学3年生)
趣味:フィールドワーク、散歩、アイドル、読書、セーリング、釣り、船舶運転など
行きたいところ:ローマ、両毛、千葉、鳥取、高知、山形など
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北九州の【両國橋】に行ってみた!
読者のみなさん、こんにちは!
大学生フィールドワーカーの山口泰輝です。
以前ご好評いただいた「両国橋」ですが、今回は福岡県北九州市にある「両國橋」をご紹介します。おそらく九州・沖縄地方では唯一の「両国橋」だと思います。
この記事は以下のような人におすすめ!
- 地図の楽しみ方を知りたい。
- 地図・地理に興味がある。
- 街歩き・フィールドワークに興味がある。
- 両国橋についてあまり関心がわかない。
この記事を読めば、きっとあなたも「両国橋」オタクになれます。
そして、より地図や地理に興味を持てるようになるはずです。
誰もが勉強してきた地理を楽しめるようになってほしいという思いを込めました。
一般的に「両国橋」と書きますが、北九州市の場合は「両國橋」と表記がありました。したがってこの記事では北九州の「りょうごくばし」に当たるものには「両國橋」と表記します。
ではさっそくご覧ください。
両國橋の位置
ここでは両國橋の位置を地理院地図、Googleマイマップを利用してご紹介します。上の地図は福岡県北九州市の範囲を示している地理院地図です。
この地図の中央部にある赤い丸が両國橋のおおよその位置を示しています。位置を相対的に把握するため、地図中にある北九州市のターミナル駅である小倉駅と日本製鐵八幡製鉄所の遊休地の一部であるスペースワールド駅に黒い丸を付けました。
この地図からは分かりにくいですが、赤い丸付近には南北を貫く紫色の点線がみられます。これは北九州市小倉北区と戸畑区の境界線を示しています。実はこの点線下には小さな河川が流れており、それが両区の境界線となっています。そしてその用水路にかかる橋が両國橋なのです。
しかしながら地理院地図だけでは正確な位置が分かりません。そんなときに役に立つ地図があります。それはGoogleマイマップです。今回は私が作成した「両◯橋」FWマップのリンクを貼っておきます。この地図は自由に拡大縮小可能で、具体的な位置関係を把握することもできます。
《 Googleマイマップはこちらをクリック 》
両國橋の歴史的背景
ここでは両國橋の歴史的背景について、前述の位置と関連づけながらご紹介していきます。さっそくここで質問です。
なぜ両國橋は「両國橋」という橋の名前になったのでしょうか?
答えを知っている方もいるかと思いますが、ここではあえて根本的な質問をしてみました。正解は「両国にまたがる橋だから」です。両国とは2つ(両方)の国という意味があります。答えを言い換えると「2つの国にまたがる橋だから」となります。しかしながら前述した通り、今回ご紹介している両國橋は北九州市の小倉北区と戸畑区の境界線をまたがる橋です。両区にまたがる橋だから「両区橋」となればいいのですが、なぜ「両國橋」と名付けられたのでしょうか。その経緯には歴史的背景が大きく関わっていたのです。
飛鳥時代から明治時代初期までの日本では律令制に基づいて設置された地方行政区分である令制国(りょうせいこく) 、別名・律令国(りつりょうこく)が日本の地理的区分の基本単位でした。その当時、現在の北九州市の範囲は豊前国(ぶぜんのくに)と筑前国(ちくぜんのくに)に含まれる地域でした。そしてその2つの国の境界線は両國橋がかかる河川だったのです。
つまり「かつて2つの国にまたがっていた橋だから」両國橋と名付けられたのです。
両國橋に行ってみた!
北九州市の両國橋は市内中心部からは離れており、小倉駅からバスで30分ほどかかります。実際の両國橋は上の写真からも分かるようにとても短い橋です。前述した通り、この橋の下に流れる河川は北九州市の小倉北区と戸畑区の境界線となっており、かつては豊前国と筑前国の境界線でした。
両國橋を挟んで両側には住所表示板があり、河川が区の境界であることが分かります。
両國橋から最も近い交差点には「両国橋交差点」と名付けられています。
両國橋は県道271号に面しており、日曜日だったこともあり車通りが激しかった。
さてここまで両國橋をビジュアル的にみてきました。ほかにも沢山の写真、動画を用意していますのでご覧になりたい方はお気楽にお申し付けください。
お散歩に出かけましょう
今回は北九州市にある「両國橋」をご紹介しました。ご存知の方も多いと思いますが、東京都墨田区には「両国」という地名も存在しています。墨田区の西には隅田川が流れ、「両国橋」がかかっています。それはもともと武蔵国と下総国にかかる橋だったから両国橋と呼ばれるようになりました。
ちなみに「両国橋」は全国各地に存在しています。上の写真は群馬県桐生市の桐生川にかかっている「両国橋」です。
読者のみなさんの身近なところにもかかっているかもしれません。探してみてください。
また書きますね。
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【報告】大分県由布市の大分川氾濫による被害状況(独自調べ)
読者のみなさん、こんにちは。
大学生フィールドワーカーの山口泰輝です。
今回は急遽ブログを書いています。
2020年7月7日から8日にかけて九州北部を襲った豪雨によって、大分県日田市をはじめ、多くの河川で氾濫が起き、各地で大きな被害が出ています。そのうち、私の自宅からほど近い大分県由布市において大分川が氾濫を起こしたというニュースが7月7日の深夜に入ったため、翌日早朝から雨が止んだことを確認したうえで、実際に現地に行ってきました。
このブログには主にどこでどんな被害が出ているのかを、私が把握できた限りの情報ですが書いてあります。この記事がどのように生かされるかわかりませんが、被害状況の把握ツールとしてお使いいただけると幸いです。
大分川氾濫による被害分布
現状、把握できた被害区域は①由布市挾間町下市地区(赤丸右)と②由布市挾間町鬼崎地区(赤丸左)の大きく2カ所です。これらの地区では河川の水の流入によりコンビニエンスストアや工場、住宅等に浸水の被害が出ていました。
また上の色別標高図をみると、由布市挾間町地区は河岸段丘という地形をしていることに気づける。また今回浸水被害が出た2つの地区はともに河岸段丘のもっとも低い段丘上にあることも分かる。
「挾間(ハサマ)」という地名は災害地名であると提唱する研究者が多いことも考慮すると、この地区はもともと洪水が起こりやすい地区であったということがわかる。
大分川氾濫による被害状況
①由布市挾間町下市地区における被害状況
この写真の中心に大分川が流れているが、こちらからみて右岸側に由布市挾間町下市地区がある。被害が大きかったため、安易に近くから撮影を行うことができなかった。
この地区にはコンビニエンスストアや工場、住宅地等が広がっており、早朝から片付け作業に取り組む従業員の姿が多くみられた。この写真の手前は比較的高台で浸水した様子は見られなかった。
②由布市挾間町鬼崎地区における被害状況
由布市挾間町鬼崎地区では土砂の流入が目立っていた。あたりは土砂の独特な匂いが漂い、服に匂いが移ってしまうほどであった。この地区は下市地区と比べて住宅地の割合が高く、河川沿いの住宅では家の中まで濁流が押し寄せたようであった。
もうひとつ目立っていたのは堆積したり、橋梁に引っかかっている丸太や木の多さである。これが何を示しているのか、さらなる考察が必要である。
またこの地区は南側が台地になっており、河川と並行して崖が連なっている。そのため、いたるところで土砂崩れが発生しており、今後の二次災害にも注意しなければならない。
以上のようにこのブログでは大分県由布市の大分川氾濫による被害状況を、個人の調べではあるが報告した。前述した通り、この記事がどのように生かされるかわかりませんが、被害状況の把握ツールとしてお使いいただけると幸いです。
《 自己紹介 》
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【別府】境川はなにかの「境」になっているのか!?
みなさん、こんにちは!
大学生フィールドワーカーの山口泰輝です。
今回は温泉地・別府の中心部を流れる境川に注目してFWしてきました。
境川はその北を流れる春木川とともに別府の扇状地を形成したと言われています。
別府市全域の色別標高図では西から東にかけて綺麗なグラデーションになっていること、
つまり扇状地になっていることが確認できます。
別府は西の鶴見岳火山の火砕流や土石流の影響、境川・春木川の河川によって「火山麓扇状地」という地形的特徴をもっています。また南北それぞれに広がる断層の影響によって「地溝」という特徴ももっており、地形的に富んだ土地になっています。この地形と別府が温泉地として有名であることには深い関係があります。その詳しい内容はまた書きますが、以前NHK番組ブラタモリでも取り上げられていたので、ご存知の方は多いのかもしれません。
さて今回はその地形ではなく、境川の「境」に注目します。
全国各地には境川や堺川など、漢字は違えど「さかいかわ」「さかいがわ」が多く存在しています。 有名なのは東京都および神奈川県を流れ相模湾に注ぐ境川ではないでしょうか。この河川名の由来はかつて武蔵国と相模国の国境とされていたことに起因します。現在でも境川の上流部においては東京都と神奈川県の都県境となっています。この過程と同じように各地の境川や堺川の由来は主に土地と土地の境界部に当たることからだと言われています。
では別府の境川はどうだろうか?
境川は別府市内を流れる川であるため、この河川を境に字名が異なることはあったとしても、ほかには何も「境」としての役割を担っていません。ではなぜこの河川は「境川」と名付けられたのでしょうか?その謎を探るべく、境川上流部から河口にかけてFWを行いました。
境川FWということでもしかしたら話題の「両◯橋」にも出会えるかもしれません!?
別府の境川とは?
境川は別府市西部に位置する内山・鶴見岳間を水源とし、別府市中心部を流れ別府湾に流れ込む二級河川です。この河川は水源である鶴見岳や地形の関係から土石流が発生しやすいと判断され、昭和7年に大分県で初めて砂防事業を手掛けた「大分県砂防発祥の地」と言われています。さして昭和51年には九州で初めての砂防公園が設けられた場所でもあります。
〈 砂防公園に関する公式ページはこちら 〉
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境川に「両◯橋」はある!?
河川には橋梁が付き物、というのはいかにも人文学的な発言であるが、普段の生活のなかで橋梁はなくてはならない存在です。しかしながらそのことに気づいていない人が多いように感じます。さて今回は別府市中心部に流れる「境川」の正体を探るFWであるのですがやはりここは一度、橋に注目してもらいたい。全国にも「境川」や「堺川」は多く点在しているのですが、その多くがある地域とある地域の境界線になっている場合が多いのです。つまりその河川にはある地域とある地域を架ける橋があるとも言えます。そういった場合の橋の名前には「両◯橋」と名付けられることが多い。したがって全国各地には「両◯橋」が多く点在しているのです。このことについては記事に書いていますのでぜひご覧ください。
〈 「両◯橋」についての記事はこちら 〉
fieldwork-tokyo2020.hatenablog.com
〈 「両◯橋」FWマップはこちら 〉
では別府の境川には「両◯橋」が存在しているのでしょうか?
境川に架かる橋は以下の通りです。
(並び順は上流部から下流部にかけて)
以上の通り、「両◯橋」は見つけることができませんでした。
ということは境川はなにかの「境」にはなっていないのでしょうか?
ネットや大手の地図を検索してわかったことは、境川が別府市内における字名の境界線になっているということだけである。参考資料として境川周辺を映しているマピオン地図のキョリ測のURLを載せておいた。この地図を見てみると河川の両岸におけるそれぞれの区画等に違いはみられず、とくにこの境川を境になにかが変わっているというポイントは見受けられない。
では本当に「境川」はただ単なる河川なのか。
〈 マピオン地図はこちら 〉
https://www.mapion.co.jp/m2/route/35.675869978581765,139.75710916666668,6
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境川のほとりに◯◯碑あり!?
ここまで境川に架かる橋から境川がなにかの「境」になっているか考えてきたが、これといった手がかりがわかっていない。しかしながら前述した通り、全国各地には「境川」や「堺川」が存在しており、その多くが境界線になっているということでわずかな希望を持ってFWを進めていきます。
今回私は境川の上流部、いわゆる古戦場橋あたりから下流にかけてFWを行いました。 その道中、私はあるものと実に運命的な出会いをしたのです。
それがこちらです。
さて問題です。写真中の赤い丸で囲まれたものはなんでしょうか?
ちなみにこの写真に写っているものは境川の右岸側のほとりで見つけたものです。
みなさん、考えはまとまりましたでしょうか。
ではこれを至近距離で撮影したものを提示しましょう。
それがこちらです。
さて、お分かりでしょうか。正解は「境界碑」でした。
そしてその碑は四角柱の形をしており南側に「別府町」、北側に「石垣村」と彫ってあります。つまり境川はかつて「別府町」と「石垣村」の境界だったのです。「別府町」「石垣村」という町名は現在使われていません。しかしながら「別府町」側にはJR別府駅や別府の中心部が、「石垣村」側には南石垣公園や石垣西通りなど「石垣」という地名が今でも使われています。この境界碑はどのサイトにも載っていないものなので貴重物ですよ!
この境界碑の場所を含めて、境川周辺をGoogleマイマップにまとめました。
位置関係などが文章だけでは不十分なのでぜひご覧になってください。
〈 Googleマイマップはこちら 〉
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境川FWフォトギャラリー
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お散歩に出かけましょう
今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で思うようにFWができていませんが、その代わりにおうち時間を有効に活用してたくさんの本を読むことができました。半年前まで本を1冊読み切るまで半年かかっていた自分が、1日で1冊読めるようになるまで成長できました。「コロナのせいで」ではなく「コロナのおかげで」享受できたものが多かった期間だったと個人的には思っています。
みなさんはどんなおうち時間を過ごしましたか?
今後どうなっていくかわかりませんが、少なくとも収束に向かうでしょう。
早く普段の生活に戻れますように、でも新しい生活様式か!?
また書きますね。
《 自己紹介 》
名前:山口泰輝(やまぐちたいき)
年齢:1999年生まれの21歳(大学3年生)
趣味:フィールドワーク、散歩、アイドル、読書、セーリング、釣り、船舶運転など
行きたいところ:ローマ、両毛、千葉、鳥取、高知、山形など
インスタグラムも更新していますのでフォローよろしくお願いします!
ここをクリック → https://www.instagram.com/fieldwork_tokyo2020/
ツイッターも更新していますのでフォローよろしくお願いします!
ここをクリック → https://twitter.com/fieldwork_tokyo
〈 フィールドワーカーの集いへのご参加はこちらから 〉
http://www.facebook.com/groups/1258992440937920/
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「フィールドワーカーの集い」について
みなさん、こんにちは!
最近、フィールドワーク欲というものを発見した山口泰輝です。
このブログでは、
フェイスブックにて設立されたグループ「フィールドワーカーの集い」について、
とくに設立の経緯や今後の展望を書いていこうと思います。
「フィールドワーカーの集い」を耳にしたことがないという方は、
ぜひフェイスブックにて検索してみてください。
〈フィールドワーカーの集いへのご参加はこちらから〉
http://www.facebook.com/groups/1258992440937920/
フィールドワークの位置づけ
私は、フィールドワークを「散歩を通して、新しい発見をすること」と位置づけています。
フィールドワーク(FW)を国語辞典で調べてみると。
フィールドワーク(fieldwork)
野外など現地での実態に即した調査・研究。野外調査。
私の位置づけとは異なる点がみられます。
それは「調査」や「研究」、「野外調査」というフレーズからわかります。
つまり一般的にはフィールドワークを「研究者が行う現地調査のこと」と位置づけているのです。
しかしながら私はこの位置づけがどうも気に食わない。
なぜか、それはこの位置づけが学術と趣味の世界の間に大きなひずみを生んでいるから。
ある方とお会いしたときにこんな話になったのです。
「教育者はただ学びを伝達するだけだと、教え子は得るものが少ない。
しかしながらおもしろく伝授することで学びの効果は飛躍的に向上する。」
みなさんはおもしろい人の話とつまらない人の話、どちらが聞きたいですか?
それはもちろん、おもしろい人の話を聞きたいと思います。
つまり学術の世界においてもそれは同じ。
よく評価される学術論文は、なにかしらのその理由がある。
私も最近はよく学術論文を読むのですが、「なるほど」と思えたものは、
やはりおもしろい、なぜかはわからないのだけれどもそう感じます。
でもその筆者はわかっているのでしょう、「おもしろさ」を。
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長くなってしまいましたが、結局なにが言いたいのか?
それは、
フィールドワークの堅苦しいイメージを拭っていただきたいということ。
そして、
フィールドワークを楽しく学ぶためのツールとして考えていただきたのです。
つまり「街歩き」や「冒険」もフィールドワークとして捉えられるのです。
広義の意味でのフィールドワークの浸透を目指して、活動していきます。
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フィールドワーカーの集いとは?
「フィールドワーカーの集い」とは先日設立したフェイスブックのグループの名称です。
その名のとおり、フィールドワーカーたちの集合体のことを指し、
グループメンバーが行なったフィールドワーク(以下、FW。)を共有する場として、
私、大学生フィールドワーカーの山口泰輝が設立したものです。
〈フィールドワーカーの集いへのご参加はこちらから〉
http://www.facebook.com/groups/1258992440937920/
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なぜ設立した?
FWそのものを共有できるフェイスブックグループが存在しなかったから。
地図ラーの会さんや市川街歩きの会さんなど、
千葉県周辺を中心にFWを共有できるフェイスブックページが存在しているのですが、
全国規模でのグループが存在していなかったのが設立の大きな理由です。
とくに地方における街歩き文化はごく少数に限られているように感じます。
そこで誰でもどこでもFWを手軽に共有できたらいいなと思ったのです。
実際、私自身も大分県という名の「FWの限界集落」にて活動を行なっている身です。
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活動内容は?
FWの共有を通して、フィールドワーカーの増加と活動促進を目的としています。
グループメンバーの方は、FWにおける新しい発見をどしどし投稿してください!!!
通勤通学中にみつけたお花の写真やFW中のエピソードなど、
いろいろな形でFWの魅力を語り合えたらいいなと思っています。
現在は設立して間もないため、具体的な活動には移せていませんが、
徐々に投稿数、メンバー数ともに増やしていけたらと考えております。
〈フィールドワーカーの集いへのご参加はこちらから〉
http://www.facebook.com/groups/1258992440937920/
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今後の展望は?
基本的にはグループ内においてFWの共有を主な活動として続けていきます。
自分自身、学部3年生で進路を決定していく時期でもあるので、
うまく運営していけるのか不安なところもありますが、
できることは精一杯取り組んでまいりたいと思っております。
地図ラーの会さんのようにオンラインイベントもやってみたいとも思いますが、
とりあえずグループがある程度盛り上がってくるまで、それは取っておきます。
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グループへの参加について
年齢性別関係なく、誰でも参加可能なフェイスブックグループです。
FWに興味関心がある方はもちろん、お散歩や旅行がお好きな方やインドア派の方でも
誰でも参加ができるグループですので、お気軽にご参加ください。
管理人が気づき次第、承認させていただきます。
〈フィールドワーカーの集いへのご参加はこちらから〉
http://www.facebook.com/groups/1258992440937920/
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管理人はどんなひと?
ブログの末部ですが、管理人である私から簡単に自己紹介をさせていただきます。
名前:山口泰輝(やまぐちたいき)
年齢:1999年生まれの21歳(大学3年生)
趣味:フィールドワーク、散歩、アイドル、読書、セーリング、釣り、船舶運転など
行きたいところ:ローマ、両毛、千葉、鳥取、高知、山形など
こんな感じでよろしいでしょうか?
また何か聞きたいことがあればお気軽にお声掛けください。
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お約束
モラルに反する投稿等に関してはそれ相応の対処をいたします。
地図地理関係の方々は温厚な方が多いので、過激な投稿はあまり考えられませんが、
万が一モラルに反した行為があった場合は管理人の判断で対処いたします。
その際、投稿をこちらで削除する場合がございますので予めご了承ください。
ブログの転載やリンクのシェアなどは全く問題ありませんのでご利用ください!
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また書きますね。
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