【岐阜・木曽三川】海津市と羽島市の謎の境界を巡る
桜が散りはじめ、花見も思うようにできないまま春が終わってしまいそうですね。
緊急事態宣言が各地で発令され、家庭での時間が増えていると思います。
いまだからこそできることを行い、「おうち時間」を有効活用しましょう!
みなさん、こんにちは!
境界線を巡ることに興味を持ちつつある山口です。
このブログにアクセスしていただき、ありがとうございます。
今回は【木曽三川】海津市と羽島市の謎の境界を巡るということで、普段はあまり意識しない市町村同士の境界について、岐阜県の海津市と羽島市の例を元に、「境界」のおもしろさをお伝えしていこうと思います。
私自身も「境界」については、まだまだ勉強不足ですのでお手柔らかにお願いします!
上の写真は岐阜県本巣市にある船来山から、岐阜県と愛知県をまたがる濃尾平野を写したものです。ここからは平野が一望でき、天気と条件がよければ名古屋駅付近の高層ビル群までも見える、大変素晴らしいビュースポットです。
しかしながらこの船来山には古墳群があり、その大部分を本巣市教育委員会が管理しているため、一般の方はこの山に登ることができません。今回、私は知人との繋がりで本巣市から許可をいただき、特別に見学させていただきました。
では本題に入りましょう。
謎の境界、なぜこうなった!?
木曽三川と境界
まずはこの地図を見てください。
※赤のマーカーは各市町村の境界を示しています。
これは岐阜県海津市、愛知県愛西市、三重県桑名市の境界付近の地図です。
いわゆる木曽三川、左から揖斐川・長良川・木曽川の3つの大河が集まる輪中地帯です。
海津市の先端部分には木曽三川公園という大型の公園があり、木曽三川の歴史などを学べるスポットとして役割を果たしている。県内の多くの小学生は社会見学として、ここを訪れる場合が多いため、岐阜県民にとってはおなじみの場所である。
この時期は園内の色鮮やかなチューリップが見ごろを迎えている。
さて、また話が逸れてしまったが上の地図に目を戻してほしい。
基本的に県境や市町村境は、「川や山など自然物を境とするもの」「水路や線路など人工物を境とするもの」「旧河川や暗渠など過去に存在した自然物を境とするもの」などが挙げられる。
上の地図もよく見てみると、木曽三川という川を境に境界線が引かれていることが確認できる。地図の左側、海津市と桑名市の境界は一見、無作為に境界が引かれているように見えるがここにもちゃんと山除川という川が流れている。
そう、上の地図の事例は
よくある「川や山など自然物を境とするもの」である。
では例外を見ていこう!
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こんなところに境界が、、
では次はこの地図を見てほしい。
※赤のマーカーは各市町村の境界を示しています。
左の地図を拡大したものが右側である。
この地図を見て、なにか違和感を感じないか?
羽島市の一部が長良川を飛び越えて、海津市と地上で隣接している。
この境界には川がある。
と言いたいところだが、実際には川は存在していない。
こうゆう場所を一般的に「飛び地」とも言ったりするが、なぜあえて川を隔てて境界線を引いているのか。川を隔てているということは、市役所や自治体が運営する機関に行くとき、わざわざ橋を渡っていかなければならない。ちなみにこの飛び地と右岸側の羽島市を直接結ぶ橋は存在しておらず、少し迂回しなければならない。
いっそのこと、上の紫のマーカーのように長良川を境界にした方がいいのでは?
と思ってしまいますね。
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境界線は人工的な水路!?
川のように蛇行しておらず、直線状なため、人工の水路であると考えられます。
つまりこの境界は、
「水路や線路など人工物を境とするもの」である。
これで一件落着っと思いきや、なにかを忘れていませんか?
まだ、なぜ羽島市の一部が飛び地になっているか解明できていません。
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飛び地になっている本当の理由
境界の海津市側にこんな石碑がありました。私も薄っすら出演しています。
回顧碑(一部抜粋)
松山中島というこの地域は高須輪中の北東部に位置し平田町・海津町(現:海津市)及び羽島市に跨る農地約56ヘクタールの一団地である。そもそもこの地域は昭和5年に長良川廃川敷を岐阜県から払い下げを受け耕地整理を行い開田した区域でその後度重なる土地改良事業により改良が加えられ現在の美田が完成したものである。由来を遡れば明治20年以降実施の長良川を含む木曽川下流河川改修により廃村になった松山中嶋村の再興を望んだ旧村民四十数名が数百回に及ぶ請願陳情の結果廃川敷を取得松山中島耕地整理組合を設立開墾排水機建設等苦労を重ねた結果から得た意義ある農地で特に献身的努力を払われた神田甚之助氏及び松永清太郎氏の功績は筆舌に尽くし難いものがある。
回顧碑(かいこひ)とは、過去の出来事を思い返すための碑のことである。
廃川敷とは、人工的に廃止された河川の敷地のことである。
つまり、
もともと長良川が流れていた
ということが回顧碑から読み取れる。
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高低差で読み取る廃川敷
ではここからは実際に長良川が流れていた痕跡を探しに行きましょう。
※茶色のマーカー部分は「田」を、緑のマーカーは「畑」を示しています。
長良川廃川敷付近をフィールドワークしてみると、おもしろいことが分かる。
羽島市側には住宅地と「畑」があるのに対して、
海津市側には「田」が広がっていることがわかる。
田んぼに適した土地というと、「水が豊か」「広くて平らな土地」「水はけの良い土」「昼夜の温度差が大きい」の大きく4つの特徴が挙げられる(京都辻農園)。
対して、畑は「水はけの良い土」は必要だが、
「水の豊さ」や「広くて平らな土地」は必須の条件ではないと考えられる。
上記の太字に当てはまるのは、濃尾平野。
つまり、廃川敷の海津市側の土地。
また、土地の高低差に注目して見てみると、、、
つまり、
飛び地になっている羽島市の一部は、まわりの土地より微高地になっており、これは長良川が現在の廃川敷を流れていたとき、陸地であったことを示していると考えられる。
微高地であるということは、水を引くことが容易ではない。
だから微高地である羽島市の飛び地では「畑」が発達したと考察できる。
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まとめ
その証拠として、「羽島市の飛び地が微高地であること」「廃川敷と考えられる場所には田んぼが広がっていること」「回顧碑に事実が明確に示されていること」が挙げられる。
「水路や線路など人工物を境とするもの」だけでなく、
「旧河川や暗渠など過去に存在した自然物を境とするもの」
でもあることが分かった。
そして、私は上の右の地図のようにもともと羽島市の飛び地は右岸側の羽島市と陸続きになっていたと推測する。そうでなければ、飛び地が発生する根拠がはっきりしないからだ。
実際、東京では多摩川や荒川などの流路変更によって、複数箇所で飛び地が発生している。その例と今回の事例がよく似ているという点も根拠のひとつだ。
この地域は海抜が低いため、度々洪水に悩まされていたという過去がある。
したがって、洪水防止のため、カーブした長良川をほぼ直線にしたと推測する。
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岐阜県を訪れてみよう
実は、岐阜県は私の地元です。
最近ではNHK大河ドラマ「麒麟が来る」で有名ですが、今回の「境界」のように他にも多くの魅力が満載です。ぜひこのブログを参考にしていただきたいです。
いまは「おうち時間」が推奨されていますが、またなんの不自由もなく外出ができるときになったら、ぜひ境界めぐりをしてみてください。
ブログを最後まで読んでくださってありがとうございました。
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