大学生フィールドワーカーのブログ

散歩を通して、新しい発見をする。

【東京をお散歩】坂道めぐりをしてみよう[ユニークな坂名編]

みなさん、こんにちは!

最近、坂の名前に注目して坂道めぐりをしている山口です。

 

突然ですが、東京都内には数多くの坂道があることを知っていますか?

 

実は23区内には少なくとも3000以上の坂道があるとされています。

同じく23区内の郵便局の数はおよそ1500ということで、

坂道が意外と身近なものであることを数字が教えてくれています。

 

そこでいつからか私は坂道をすべて登ろうと坂道めぐりを進めています。

これまでおよそ150の坂道の登ってきました。

まだ全体の1/20の坂道しか登っていないと考えると数の多さを実感します。

 

今回は【東京をお散歩】坂道めぐりをしてみよう[ユニークな坂名編]ということで

これまで私が登ってきた坂道の中で坂名がユニークだと感じた坂道を紹介します。

 

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都電荒川線

 

 

森鴎外命名!?文京区根津の「S坂」

東京には数多くの坂道がありますがアルファベットが坂名になっている坂道はなかなかありません。もしかしたらここだけかもしれません。

 

そんな坂道の名前は「S坂」

別名では「権現坂」とも「新坂」とも呼ばれているようです。

 

ではなぜこのようなユニークな名前が坂道についたのか、考えてみましょう。

 

 

「S坂」の由来

S坂の坂下にこのような案内板が掲げられています。

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S坂下の案内板

 

この案内板から読み取れることとして、以下の3点が挙げられる。

  • 本郷通りから根津谷へ下る新しい坂道だから「新坂」と呼ばれること
  • 根津神社の表門に下る坂道だから「権現坂」と呼ばれること
  • 森鴎外の小説『青年』のなかで「此坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲してついている。」とあることから、この小説を読んだ学生が「S坂」と呼ぶようになったこと

 

つまり「S坂」という坂名は森鴎外命名したと考えられる。

森鴎外は明治・大正時代の小説家である。

代表作として高瀬舟舞姫などがあり、現代でも親しまれている。

 

では森鴎外が「S坂」と名付けた根拠を探しにいこう。

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S坂下から

 

この写真を見て欲しい。

これは坂下から「S坂」を撮影したものです。

 

大きく曲線を描いている坂道であることを確認できるだろうか。

これが「S坂」の坂名の由来ともなっている曲線なのです。

 

坂上にはこんな興味深い道路標示も見つけた。

 

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S字の道路標識

 

S字の道路標識はここで初めてみました。

坂道の道路標識でいうと多くは急勾配を示すものが一般的ですが、

「S坂」だけにS字の道路標示を掲示するとはなんとも誇らしいですね。

 

 

「S坂」を上る前に根津神社でひと休み

S坂」の別名に「権現坂」がありましたね。

それは根津神社の表門に下る坂道だから命名されたと前述しました。

案内板の説明のように「S坂」の坂下には根津神社があります。

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根津神社

ここで根津神社についても説明しておきます。

 

根津神社は今から千九百年余の昔、日本武尊千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。
江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座した。
明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神威高い名社である。

 

詳しくは公式サイトをご覧ください。

www.nedujinja.or.jp

 

 

「S坂」へのアクセス

S坂(新坂・権現坂)

住所 東京都文京区根津1丁目21と28の間

 

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臭い坂道!?赤羽の「かなくさ坂」 

飲み屋街の街、東京都北区の赤羽にもユニークな名前の坂道があります。

その名は「かなくさ坂」と呼ばれています。 

 

「かなくさ坂」と聞いただけでも何が由来になったのか想像つきません。

 

それもそのはず、少し過去を振り返らなければわからないのです。

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かなくさ坂下から

 

「かなくさ坂」の由来

「かなくさ坂」の坂下にはこのような案内板が掲示されています。

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かなくさ坂下の案内板

 

この案内板にはこのようなことが書かれています。

 

この坂は、島下公園の北側を東の方へ登る坂です。名前の由来については定かではありませんが、鉄分を多く含む湧水の影響で池土が赤錆色に染まったことを、かなくさ(金属の匂いや味がすることを金臭いといいます)と表現した、のではないかという説が知られています。

 

つまりこのあたりは鉄分を多く含む湧水があり、

それが金臭かったから「かなくさ坂」になったということと考えられる。 

 

ではなぜこの場所から鉄分を多く含む湧水が湧いていたのか?

それは赤羽という地名から容易に想像ができる。

 

 

なぜ「赤羽」という地名になった?

 

赤羽という地名は、赤褐色(アカ)と、ぬかる泥(ハネ) の赤土、すなわち関東ローム層から転じたという説がある。

皆川典久(2019)、『東京スリバチ地形散歩 都市新発見編』、P208

 

 つまり、赤羽という地名は関東ローム層の赤土との関係が非常に強いことがわかる。

 

この事実と「かなくさ坂」の坂名を関連づけていく。

「金臭い」というのはこの関東ローム層の赤土の匂いのことではないか。

 

関東ローム層は富士山や箱根山などの火山から関東平野に降下した火山砕屑物や堆積物の総称である。火山砕屑物とは火山灰などのことであり、火山灰には鉄分が含まれているのである。

 

まとめると赤羽界隈では関東ローム層の赤土との関連がとても強い傾向にあり、そのなかで「かなくさ坂」も赤土の鉄臭さを由来としている、ことがわかった。

 

このように坂道をじっくり見ることでその土地についても考えることができる。

これが地理学習の醍醐味ではないだろうか?

 

ある人はこのような学習体系を「地理思考」と言っていた。

 

 

「かなくさ坂」へのアクセス

かなくさ坂

住所 東京都北区赤羽西6丁目10-17

 

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お散歩に出かけましょう

現在、全国各都道府県には緊急事態宣言が発令されています。

不要不急の外出は控えるように言われています。

フィールドワーカーにとっては致命的な状況ですが、

いまは切り替えてこのブログを通してフィールドワークの魅力を伝えています。

 

いまは長い暗いトンネルを彷徨っているようですが、入り口があれば出口もきっと見つかります。

グローバル化の弊害とも言えるこの事態ですがみなさんで協力していち早く出口に辿り着けるように頑張りましょう。

そしてまた無理なく外出ができるようになったら東京をお散歩しましょう。

東京に限らず、家の近くでもどこでもいいです。

 

 

その地域の魅力、感性、情緒を感じ、学びに。

 

また書きますね。

 

大学生フィールドワーカー / 大学生巡検人 山口泰

 

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