【東京をお散歩】坂道めぐりをしてみよう[日暮里・鶯谷周辺編]
桜が散りはじめ、花見も思うようにできないまま春が終わってしまいそうですね。
静かな上野恩賜公園を見ると、なんとなく悲しくなってしまいます。
でもいまは我慢の時期ですね。「おうち時間」を有効活用しましょう!
みなさん、こんにちは!
東京で坂道めぐりをするのが大好きな山口です。
このブログにアクセスしていただき、ありがとうございます。
今回は、坂道めぐりをしてみよう[日暮里・鶯谷周辺編]ということで、私がオススメするJR山手線の日暮里駅・鶯谷駅周辺の3つの坂道を紹介したいと思います。
普段はなにも意識せず登ったり下ったりしている坂道。
しかしちゃんと注目してみると意外な発見や出会いがあります。
みなさんもこのブログを読んで、新しい東京の楽しみ方を見つけてみませんか?
山手線をまたぐ坂道!? 台東区上野の「寛永寺坂」
ではまず「寛永寺坂」の名前の由来から考えてみましょう。
みなさん、東叡山寛永寺をご存知でしょうか?
東叡山寛永寺は上野公園内にある、天台宗の別格大本山のお寺です。
坂道の途中にある案内板には、
大正年間(1912〜1925年)発行の地図からみて、この坂は1910年ごろ、新設されたように推察できる。当初は鉄道線路を踏切で越えていた。現在の跨線橋架設は昭和3年(1928年)8月1日。名称は寛永寺橋である。坂の名をとったと考えていい。坂の名は、坂上が寛永寺境内だったのにちなむという。寛永寺は徳川将軍の菩提寺だった。坂上、南に現存。
と記されている。
まとめると、
ということです。
下の地図の赤のマーカー部分が寛永寺坂です。
鶯谷駅前から北西へ進んでいくと、寛永寺橋というJR線を跨ぐ陸橋が見えてきます。その陸橋をさらに進んでいくと、寛永寺坂が見えてきます。坂の途中には左手、南側に坂道の名前の由来となっている寛永寺も見えてきます。坂を越えると、その先は台東区谷中地区に繋がります。
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◎ 寛永寺坂を楽しむポイント2選
寛永寺橋から「景色」を楽しむ
のちのち紹介する「芋坂」からみる東京スカイツリーもいいが、寛永寺橋から見てもいい。寛永寺坂は下町低地から上野台に上る坂道のひとつ、日暮里駅の高層ビルから東京スカイツリーまで開けていて、最高のビュースポットです。
寛永寺橋から「電車」を楽しむ
見出しにもあったようにJR山手線を跨ぐ坂道である寛永寺坂は、鉄道ファンにもオススメのスポットである。ここからは、山手線・京浜東北線・宇都宮線・高崎線・常磐線・上野東京ラインの6路線の列車を見ることができる、都内でも有数のスポットです。
ぜひ一度、訪れてみては!
寛永寺坂へのアクセス
寛永寺坂
住所 東京都台東区上野桜木1付近
最寄り駅 JR鶯谷駅「北口」から徒歩5分
東叡山寛永寺(根元中堂)
住所 東京都台東区上野桜木1-14-11
最寄り駅 JR鶯谷駅「北口」から徒歩10分
開門時間・閉門時間 午前9時〜午後5時
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王の別荘への坂道!? 台東区谷中の「御院殿坂」
次に「御院殿坂」について、まずは坂名の由来を明らかにしましょう。
みなさん、「御院殿」という単語を聞いたことがあるでしょうか?
私がはじめて「御院殿坂」という名前に出会ったとき、おそらく「御院殿」という建物がその近くにあって、それが坂名の由来となっているという推測をしました。実際、前項では寛永寺が坂の途中にあるからそのまま「寛永寺坂」になったという話をしたばかりなので、同じ考えを持つ方も多いかと思います。
しかし御院殿坂に行ってみると、周りには建物は見当たりません。
あるのは谷中霊園内のお墓だけ。
実は、
御院殿という建物があるから「御院殿坂」であるという考えは、半分正解で半分間違いなのです。
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御院殿とは?
では御院殿とは一体なんなのか?
坂道の途中にある案内板には、
明治41年(1908年)刊『新撰東京名所図会』に、「御院殿坂は谷中墓地に沿ひ鉄道路線を経て御院殿跡に下る坂路をいふ。もと上野より御院殿への通路なりしを以てなり。」とある。御院殿は東叡山寛永寺住職輪王寺宮法新王の別邸。江戸時代、寛永寺から別邸へ行くため、この坂が造られた。「鉄道線路を経て」は踏切を通ってである。
と記されている。
つまり、御院殿とは寛永寺のお偉い住職さんの別邸のこと。
そして、寛永寺から御院殿に行くために「御院殿坂」が造られた。
これらのことがわかりました。
しかし、、「御院殿」が見つかりません、どこに行ったのでしょうか?
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御院殿はこんなところにあった!
上の地図は赤のマーカーが「御院殿坂」を、紫のマーカーが御院殿跡を示しています。
お分かりの方がほとんどだと思いますが、御院殿は現存していません。
位置的には次項でご紹介する「芋坂」と「御院殿坂」の間の部分、現在は谷中霊園の敷地となっており、たくさんのお墓がたっています。
つまり、
御院殿という建物があるから「御院殿坂」ではなく、
御院殿という建物があったから「御院殿坂」
という坂名になったが正しいですね。
ちなみに御院殿は慶応4年(1868年)の上野戦争の際に消失している。
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◎ 御院殿坂を楽しむポイント2選
レトロな「御院殿坂橋」を楽しむ
上の写真からもわかるように、御院殿坂の一部は陸橋になっているのです。
その名も「御院殿坂橋」
もうそのまんまですよね、笑
でもこの陸橋、実はすごいんです!!!
なんとこの陸橋が架設されたのは昭和3年(1928年)ごろ、
つまり今年(2020年)で架設されてから92年という長い長い歴史を持っているのです。
またこの陸橋は鉄筋コンクリート構造(RC造)で造られている。日本で最古、かつ現存する鉄筋コンクリート構造の建物は大正5年(1916年)に造られた、長崎県の端島、通称「軍艦島」にある「30号棟」というマンション型の住居である。
この情報を見る限り、「御院殿陸橋」も相当歴史のある建造物であることがわかる。
御院殿坂橋から「電車」を楽しむ
「寛永寺坂」同様、「御院殿坂」もJR線を跨ぐ坂道となっているため、鉄道ファンにとっては絶好の撮影ポイントになるのではないか。「寛永寺坂」よりも柵が低く、網状になっているため、鮮明に電車を眺めることができる。また人通りも少ないため、周りをほとんど気にせず、電車に没頭できるだろう。またここからは京成電鉄の電車も見ることができる。
御院殿坂へのアクセス
御院殿坂
住所 東京都台東区谷中7付近
最寄り駅 JR日暮里駅・京成電鉄日暮里駅「南口」から徒歩5分
JR鶯谷駅「北口」から徒歩10分
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坂道なのに坂道じゃない? オススメの団子屋も!! 台東区谷中の「芋坂」
では最後に「芋坂」についてお話ししていきます。
それもなんともユーモアがあるお名前ですよね。
ではなぜ「芋坂」という坂名になったのか、一緒に考えてみましょう!
坂道の途中にある案内板には、
坂を登れば谷中墓地、下ると羽二重団子の店の横から善性寺前へ通じていた。鉄道線路でカットされ、これに架かる橋が「芋坂跨線橋」と名付けられて、わずかにその名を残している。
坂名は伝承によると、この付近で自然薯(山芋)が取れたのに因むという。正岡子規や夏目漱石、田山花袋の作品にもこの芋坂の名が書かれている。
芋坂も 団子も月の ゆかりかな 子規
と記されている。
つまり、
この坂道の近くで山芋が取れていたから「芋坂」
となったことがわかる。
自然が豊かで、文人たちにも憩いの場であったことが読み取れますね。
しかし現在、芋坂付近は鉄道線路や谷中霊園の墓地、住宅地となっており、当時の面影を全く残していない。コンクリート貼りされた土壌にはどんな成分が含まれていたのだろうか?
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◎ 芋坂を楽しむポイント3選
ちょっびりひとやすみ!「羽二重団子」を楽しむ
芋坂には坂道めぐりのひとやすみにピッタリなスポットがあります。
それは羽二重団子さん。
羽二重団子さんは文政2年(1831年)開業ということで、江戸時代から続く美味しいお団子を長い間庶民の方々に提供し続けている老舗中の老舗です。元々は「藤の木茶屋」という店名で営業していたそうですが、販売していた団子がきめの細かい羽二重のようだと称され、いつした商号も「羽二重団子」になっていたようです。
私も坂道めぐりの途中に立ち寄り、団子2本と煎茶のセットをいただきました。価格は550円程で、煎茶はおかわりが自由でした。店内も木材を使用した内装で落ち着いた雰囲気でした。どこか訪れる方々も落ち着きのある方が多かったように感じます。味はもちろん美味。また訪れたいと思うお味でした。
暗渠ってなに!? 謎の「将軍橋」を楽しむ
先ほど紹介した羽二重団子さんの向かい側には「善性寺」という長享元年(1487年)に建立された日蓮宗のお寺があります。
このお寺は六代将軍徳川家宣の生母が葬られており、それ以来将軍家ゆかりのお寺となっている。
今回注目するのはこのお寺ではなく、門前にある橋である。
上の写真を見てもらうとたしかに橋らしきものが見える。この橋は「将軍橋」と呼ばれている。将軍ゆかりのお寺ということで橋名の由来は想像できる。だがしかし、橋とともにあるべき水辺がどこにも見当たらない。本来ならば、緑が茂っている部分に川や池があるのが普通。
ではなぜこんな場所に橋が存在しているのか、一緒に考えてみましょう!
上の2枚の地図は赤のマーカーが芋坂、青のマーカーが善性寺を示している。
よくみて見ると江戸時代には善性寺の門前に川が流れていたことが確認できる。
つまり、元々川が流れており、その川に「将軍橋」が架けられていたが、その後埋め立てられたため、橋だけが姿を残していると考えられる。
この川の名前は、「音無川」、別名「石神井用水」とも呼ばれていた。
この音無川のように以前は河川が流れていた部分を埋め立てたり、蓋をして見えないようにした場所を暗渠(あんきょ)と呼びます。
これからも度々ブログで出てくる用語なので、よかったら覚えてみてください。
このように坂道に意識を向けると、その周辺にあるいつもは気がつかないものが見えてきて、その土地の歴史を遡ることもできる。これぞ坂道めぐりの醍醐味です。
芋坂跨線橋から「景色」楽しむ
ここまで「寛永寺坂」「御院殿坂」の景色をご紹介してきましたが、今回紹介する坂道の中では最も景色がいいのは「芋坂」です。芋坂の景色といえば、電車と東京スカイツリー、そして下町低地のコントラストが味わえる最高のビュースポットです。
芋坂へのアクセス
芋坂
住所 東京都荒川区東日暮里5付近
最寄り駅 JR日暮里駅・京成電鉄日暮里駅「南口」から徒歩3分
羽二重団子
住所 東京都荒川区東日暮里5-54-3
最寄り駅 JR日暮里駅・京成電鉄日暮里駅「南口」から徒歩3分
営業時間 午前9時〜午後5時(ラストオーダーは午後4時45分)
定休日 年中無休(現在は感染症拡大防止のため臨時休業中)
電話番号 03-3806-2924
善性寺
住所 東京都荒川区東日暮里5-41-14
電話番号 03-3803-3391
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お散歩に出かけましょう
さて今回は寛永寺坂、御院殿坂、そして芋坂についてご紹介しました。
どの坂も魅力がいっぱいでどれも行ってみたくなりますよね。
いまは「おうち時間」が推奨されていますが、またなんの不自由もなく外出ができるときになったら、ぜひ坂道めぐりをしてみてください。
ブログを最後まで読んでくださってありがとうございました。
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