土地の「境界」に潜む謎
みなさん、こんにちは!
フィールドワークのツールに「境界」がダウンロードされた山口です。
緊急事態宣言が徐々に解除され、日常が戻りつつある今日。
まだまだ油断は禁物ですね、ステイホームで乗り切りましょう。
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さて今回は「境界」にスポットライトを当ててブログを書いていきます。
みなさんは「境界」と聞いて、なにが思い浮かぶでしょうか?
辞書にはこんな風に書かれています。
・土地のさかい目。
・物事のさかい目。
(引用:大辞林 第三版)
また最近では「都道府県をまたぐ不要不急の移動の自粛」が促されています。
これもある意味言い換えると「都道府県の境界を越えないで」ということになります。
つまり「境界」とは、土地や物事同士のさかい目を示すものと言えます。
みなさんは土地の「境界」に注目したことはありますでしょうか?
「ここから〇〇市」という看板があるだけで、特になにも感じない方が大半でしょう。
私も最近まで、都道府県境を越えるときに少々の興奮を覚えるくらいでした。
しかし私はある日、「境界」のおもしろさに気がついてしまったのです。
それは境界協会の小林政能さんとの出会いでした。
小林さんとフィールドワークをさせていただき、「境界」思考を注入されました。
その詳しい成り行きは置いておいて、
今回はみなさまに土地の「境界」のおもしろさをお伝えしようと思います。
「境界」は本当におもしろいです。
お時間があれば、最後まで読んでいただけるとうれしいです。
両国はかつての国境!?
「両国」と聞いて、みなさんは何が思い浮かぶでしょうか?
やはり思い浮かぶのは東京都墨田区の「両国」ではないでしょうか。
両国国技館、相撲、江戸東京博物館など東京の「両国」には、日本を代表とする施設があったり、日本の下町情緒も感じることができたりするスポットがたくさんあります。
そんな「両国」なのですが、その地名の由来を考えたことはありますか?
「両国」という地名にはその字面だけではわからない、おもしろさを秘めているのです。
そしてそこには「境界」との大きな関係があるのです。
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「両国」の地名の由来を探るため、まずは墨田区西岸を流れる隅田川に向かいます。
隅田川は、東京都北区にある岩渕水門を起点に、東京の東部低地帯の沿川7区(北区・足立区・荒川区・墨田区・台東区・中央区・江東区)を南北に流れ、東京湾に注ぐ荒川水系の一級河川で、都が管理しています。
江戸時代の隅田川は秩父から切り出した材木の運搬に使われるなど、江戸城下の建設を支える水運の要として重要な役割を担っていた。また両国橋界隈や浅草など活気が溢れる場もあり、江戸の名所として大変な賑わいを見せていた。
ちなみに隅田川は「境界」を意識すると、中央区と墨田区の区界になっています。
「境界」は河川や山の頂にありがちなので、隅田川が境界になっているというのは妥当です。
「墨」田区を流れる「隅」田川、なぜ同音異義語になっているのでしょう。
このお話しはまた今度取り上げて書きますね。
ではその隅田川沿いを南下していきましょう。
すると見えてきたのは「両国橋」です。
墨田区両国に通じる橋だから「両国橋」ということで、分かりやすい命名法ですね。
地域の名前が橋の名前になること、逆に橋の名前が地域の名前になることはありがちで、東京駅付近の京橋や鍛冶橋という地名も、もともとはそれらの橋が存在していたことにちなんだ地名であることが分かっています。橋があるということは河川も付き物なのですが、関東大震災後や戦後のガレキを河川に捨て、いつの間にか埋め立てられてしまったという経緯を持っています。
隅田川は現在も健在なので、「両国橋」ももちろん活躍中です。
実は、この「両国橋」こそが「両国」という地名の由来を明らかにする重要なキーなのです。
両国橋は中央区日本橋と墨田区両国を結ぶ、隅田川で2番目に架けられた橋です。
両国橋の歴史を探していくと、こんなことが分かりました。
明暦3(1657)年の明暦の大火をきっかけに、万治2(1659)年に架橋。位置は現在よりも少し下流であった。当初、大橋と呼んだが、隅田川が武蔵国と下総国の境であったため、二州橋とも言われた。のちに武蔵、下総両国に架かることから、両国橋と正式に改められた。橋の両側に火除地として広小路が設けられ、江戸随一の盛り場として賑わった。両国の川開きは5月28日に行われ、8月28日までの納涼期間中は花火が打ち上げられ、江戸庶民を魅了した。
(一部引用:両国橋|錦絵でたのしむ江戸の名所 - 国立国会図書館)
隅田川はもともと武蔵国*1と下総国*2の境界線であったことが分かる。
またその両国に架かっている橋だから「両国橋」と名付けられたのである。
「大橋」→「二州橋」→「両国橋」と橋名が変化していったことも分かる。
また地図ラーの会の森田さんによると、
江戸随一の盛り場は日本橋両国の広小路だったとのこと。
すると驚くことに両国橋の中央区側に「両国郵便局」があったのです。
つまり、もともとは両国橋の両岸の地域を「両国」と呼んでいたと考えられます。
JR総武線「両国」駅の歴史を辿ってみるとこんなことが分かりました。
両国駅は1904(明治37)年に開業。
当初の駅名は「両国橋」でしたが、1931(昭和6)年に現在の駅名になった。
(一部引用:JR両国駅「幻のホーム」はなぜ生まれた?|草町義和)
また江戸時代、現在の「両国」は向両国(むこうりょうごく)とも呼ばれていた。
ということはもともとは日本橋の「両国」が本家かもしれない。
しかしながら、中央区側の現在の両国郵便局のあたりの住所は「東日本橋」となっており、
墨田区側の「両国」という地名が残ったということだろう。
つまり武蔵国と下総国(両国)の「境界」付近の地域であることから、
「両国」と名付けられ、その地名が墨田区ではいまでなお使われているということである。
現在の隅田川は東京都中央区と墨田区の「境界」になっていますが、
かつて武蔵国と下総国の「境界」だったということはあまり知られていません。
このように土地の「境界」に注目すると、その地域の地名や歴史を深掘りできるのです。
少しだけでもいいのでおもしろいと思っていただけたでしょうか?
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橋だけじゃない!境界にはこんなものもある!
前述でご紹介した「両国橋」では隅田川がかつての国境であったことから、
「両国」という地名の由来や歴史まで掘り下げることができました。
そんな「境界」なのですがおもしろいものを発見できるスポットでもあります。
ここからは私が発見した「おもしろ境界」の中から3箇所をご紹介します!
群馬県桐生市を流れる桐生川はもともと上野国と下野国の境界になっていたのです。
河川が境界になっていることはなんら珍しいことではないのですが、
おもしろいのは桐生川にも両国橋があるということです。
東京から遠く離れた群馬(別名:グンマー)にも「両国橋」があるのは意外でした。
両国橋のお写真は、両毛スリバチ学会トチギ分団長の深澤謙吾さんの撮影です。
ご提供ありがとうございます。
〈 両毛スリバチ学会のFacebookページはこちら 〉
https://www.facebook.com/ryoumousuribachi/
ちなみに「両国橋」という名前の橋は全国各地に存在しています。
意外と身近なところに架かっているかもしれないので、
さまざまな地図を使って探してみるのもいいかもしれませんね。
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さてここでは関東地方から大きく飛んで、大分県のお話しに移ります。
写真の中の白色の点線は両市の境界を示しています。
この写真からなにか読み取れませんか?
奥側の大分市には歩道があるのに対して、手前側の臼杵市には歩道がありません。
このように行政の違いから、舗装の違いも生まれるのですね。
普段は気が付かないものを見つめると、意外とおもしろいものが落ちているのです。
大分県にお住いの方は、ぜひご覧になって見てみてください!
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温泉で有名な別府市と大分市との境界にはなにがあるのでしょうか?
あまり知られていないのですが、大分市と別府市の境界には歩道橋があるのです。
その名も「両郡橋」、
前述した東京都両国の「両国橋」とどこか似たような橋名ですね。
(この歩道橋は国道10号線(別大街道)に架かっています。)
実はこの「両郡橋」は「両国橋」の成り立ち方と同じなのです。
かつて大分市は大分郡に、別府市は速見郡に含まれていたことから、
両郡にまたがる橋だから「両郡橋」になったのです。
この歩道橋自体は最近完成したものであるが、この付近には河川が流れており、
その河川に以前架かっていた橋の名前が「両郡橋」であったから、
その橋名を継承したと考えられる。
このように「両国橋」に限らず、「両郡橋」や他にも「両村橋」など
似たような名前の橋が全国各地で見られます。
こちらも身近な場所にあるかもしれませんね。
大分県にお住みの方は別大街道をお通りになる際に意識してみるのもいいかもしれません。
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お散歩に出かけましょう
「おうち時間」には慣れてきたでしょうか?
フィールドワークも自粛気味で、いまは県外移動したくてたまりません!
緊急事態宣言も解除が徐々に進み、もう大丈夫かな?と思ってしまいますが、
油断は禁物ですね。
最後になりますが、
地図ラーの会のみなさまには先日の地図ちず超会議にて大変お世話になりました。
本当にありがとうございました。
また書きますね。
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